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札幌地方裁判所 昭和39年(ヨ)50号 判決

債権者 及川静雄 外一〇名

債務者 第一小型ハイヤー株式会社

主文

一  債権者らがいずれも、債務者に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

二  債務者は、債権者らに対し、別表三合計欄記載の金員を即時に、別表二合計欄記載の金員を昭和四二年三月二五日から本案判決確定に至るまで毎月二五日かぎり、それぞれ仮に支払え。

三  債権者らのその余の申請を却下する。

四  申請費用は債務者の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一当事者双方の求める裁判

一  申請の趣旨

1  債権者らが、債務者に対して、雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

2  債務者は、債権者らに対し、別表一記載の金員をただちに、別表二記載の金員を昭和四一年六月二五日から毎月二五日かぎり、それぞれ仮に支払え。

3  申請費用は債務者の負担とする。

二  申請の趣旨に対する答弁

1  本件申請を却下する。

2  申請費用は債権者らの負担とする。

第二当事者双方の主張

一  債権者らの主張

1  雇用関係および解雇の事実

債務者は札幌市内においてタクシー業を営む株式会社であり(以下単に会社という)、債権者らはいずれも期限の定めなく会社に雇用され、タクシー運転の業務に従事していたところ、会社は、債権者及川に対しては昭和三七年五月八日、その他の債権者らに対しては昭和三八年一一月二八日、それぞれ懲戒解雇に付する旨通知した(以下本件解雇という)。

2  解雇の無効

本件解雇は、以下(一)ないし(五)の理由により無効である。

(一) 本件解雇は就業規則の適用を誤つたものである。

本件解雇は、後記二債務者の主張1によれば、債権者らの債務者挙示の各行為が就業規則に定める懲戒解雇事由に該当するとしてなされたものとされているが、つぎに述べるように、解雇事由に該当する事実はないから、本件解雇は就業規則の適用を誤つたもので、無効である。

(債権者及川静雄について)

後記「二債務者の主張1債権者らの解雇理由」のうち「債権者及川静雄について」と題する部分に対する認否ならびに反論

(1) 右のうち(1)について

否認する。ただし、債務者主張の期間中届出をして欠勤した事実はある。

仮に欠勤が無断であつたとしても、債権者及川は会社の従業員で組織する第一ハイヤー労働組合(以下単に組合という)の委員長であり、専従者のいない企業内組合において、活動家である委員長が組合活動のため勤務時間を利用することは、会社が組合の存立を認める以上許されなければならず、かつ、勤務に重大な支障をきたしたとの証拠もなく、さらに従来から及川に対する事実上の組合専従を認め、勤務時間中の組合活動は黙認してきた慣行があつたのであるから、「正当な理由なき」無断欠勤ではない。したがつて、就業規則七・四(イ)には該当しない。

(2) 同(2)について

昭和三七年四月二八日組合が時限ストを行なつた際、会社菊水支店待合室兼運転手控室に組合員が入つたことは認めるが、その余の事実は否認する。

「再三の立退を命ぜられたにも拘らずこれに従わず」という事実はないから、就業規則七・四(ク)には該当しないし、また「配車業務等の会社業務を妨害した」という事実もないから、就業規則七・四(コ)には該当しない。

(3) 同(3)について

昭和三七年五月四日および八日に豊川稲荷等において組合が大会を開いたことは認めるが、その余の事実は否認する。

営業時間中の組合大会に参加する者が、現に稼働中の車に乗車したまま会場に行つたとしても、会社の物品を無断で持ち出したことにはあたらない。したがつて、就業規則七・四(オ)に該当しない。

(4) 同(4)について

昭和三七年五月七日および八日に組合員がビラ貼りをしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

当時の本社事務所入口に数十枚のビラ貼りをしたとしても、会社業務を妨害したことにはならない。したがつて、就業規則七・四(コ)に該当しない。勿論「服務規律に違反した」場合には当らない。したがつて、就業規則七・三(ア)には該当しない。

(及川以外の債権者らについて)

後記「二債務者の主張1債権者らの解雇理由」のうち「及川以外の債権者らについて」と題する部分に対する認否および反論。

(1) 右のうち冒頭の部分について

組合と会社との間に争議状態があつたこと、債権者飯村は副執行委員長、鳴海は書記長、その余の債権者らがいずれも執行委員の地位にあつたことは認めるが、その余の事実は争う。

(2) 同(1)について

争う。

「会社の財産に損害を与えた場合」にあたらない。したがつて就業規則七・四(オ)に該当しない。

(3) 同(2)について

六月一九日から八月四日まで組合員が本社事務室、社長室に入つていたことは認めるが、その余の事実は否認する。

「他人に暴行、脅迫を加え、もしくは業務の妨害をなしたとき」にあたらない。したがつて、就業規則七・四(コ)に該当しない。

(4) 同(3)について

六月二二日菊水支店仮眠室から寝具を持ち出したこと、その後返還要求があつたことは認めるが、その余の事実は否認する。寝具は、会社の承諾を得て借り出したのであるから、債務者の主張は問題にならない。

就業規則七・四(オ)に該当しない。

(5) 同(4)について

六月二二日から八月四日まで、自動車八輛、車検証、エンジンキーを組合が占有保管していたことは認めるが、その余の事実は否認する。自動車その他を保管していたのは、会社の不法不当なロツクアウトを認められないとして、平常通り勤務するためにしていたものであり、かつ、自己の担当する自動車を保管していたのであるから、債務者の主張はあたらない。

就業規則七・四(オ)、(コ)に該当しない。

(二) 本件解雇は懲戒権の濫用である。

仮に債権者らの前記各行為が解雇事由に該当するとしても、右事実をもつて解雇することは、つぎに述べるとおり懲戒権の濫用であるから、本件解雇は無効である。

(債権者及川静雄について)

前段(1)の事実は、及川の組合活動に関する事柄であり、当時は昭和三七年春闘開始の頃であつて、組合業務が繁忙をきわめたときであり、組合および統一闘争を組んでいた全国自動車交通労働組合(以下、全自交の略称で呼ぶ)各単組にとつて、及川の組合活動は必須のものであつた。しかも、前記のように、及川のこの活動は従来から会社によつて認められていたものである。

また、(2)、(3)、(4)の各事実は、既に春闘が開始され、しかも会社の策謀ないしはこれと呼応した組合員によつて第二組合が結成され、組合の活動および存立に重大な危機を招いていた時期のことにあたり、組合が、やむことをえず、これに対抗してとつた行動の一環を問題としているのである。その行動は、もとより、正当な組合活動の範囲内であるが、仮にそれに若干のゆきすぎがあるとしても、たとえば、組合大会に集まるとき、営業中の組合員が自己の担当する車を使つてこれに参加することは、従前もあつたことであるばかりか、第二組合もこれと同様な行動をその当時とつていたのであり、これに対して及川に機関責任の全部をとらせて、労働者にとつて死刑にもひとしい懲戒解雇をすることは許されない。

後記「3本件解雇の本質と背景」において述べるとおり、三七年春闘に対してとつた会社の態度(団交拒否、第二組合結成など)が著るしく不当であつたことに鑑みれば、これに対抗する一方の当事者の長に対して、他の当事者がむしろ争議対策あるいは組合対策としてとつた本件懲戒解雇処分は、その正当性を失なうものであり、そのことは、労使対等の原則、信義則(クリーン・ハンド)、健全な社会通念に即して考えれば、むしろ当然であり、このような懲戒解雇は懲戒権の濫用として無効である。

(及川以外の債権者らについて)

右の債権者らについて解雇事由に該当するとされた事実は、いずれも昭和三七年春闘の最中のものであり、しかも、会社の策謀により、あるいは会社と呼応した組合員によつて第二組合が結成され、組合はその活動および存立に重大な危機を招いていた時期のことにあたり、組合が、やむことをえず、これに対抗してとつた行動の一環を問題としているのである。その行動はもとより正当な組合活動の範囲内であるが、仮にそれに若干のゆきすぎがあつたとしても、会社の第二組合結成、これとのなれあい団交とその妥結、団交拒否、暴力団の導入、不法不当な長期のロツクアウトなどの著るしく信義に反した行動(この点の詳細は後記「3本件解雇の本質と背景」において述べるとおりである)に鑑みるときは、これに対抗して行動した一方の当事者たる組合の全執行委員に対して、そのような行動をとつた他方の当事者である会社がすべての責任をとらせて、労働者にとつて死刑にもひとしい懲戒解雇をもつて臨むことは許されることではない。

しかも、ことは争議中のことで、いわば労使間の異常な対立状態にあつたときであり、これに平常時の労使間の個別関係を規律する就業規則をそのまま当然に適用することには重大な疑問が存する。

のみならず、本件解雇は、右争議がともかく一応解決して、組合員が就業を開始し、正常な労使関係が再び確立されようとした矢先に、突如として過去の争議責任を追及するという形でなされたものであり、これら諸般の事情を考えれば、労使対等の原則、信義則(そのようなことが起きないと信頼して争議状態を解決したこと、およびクリーン・ハンド)、健全な社会通念からいつて、本件懲戒解雇は懲戒権の濫用として無効である。

(三) 本件解雇は不当労働行為である。

債権者らは、いずれも組合の執行委員として活発に組合活動を行なつていたものであり、会社はこの債権者らの組合活動を嫌悪し、会社から債権者らを排除して労働組合の組織および活動を破壊しようとして本件解雇をしたものである。

すなわち、債権者及川は、断固として闘う組合の委員長として活発に活動していた。会社はこの闘う組合の姿勢に打撃を与えようとして懲戒解雇をしてきたのである。また、及川以外の債権者らは、争議が終了して就労したのちも、組合員らが業務にも熱心に、さらに組合の統一をめざしてきわめて熱心に組合活動を行なうについて、その先頭になつて闘つた。組合員が少数になりながらも頑強に闘う組合を会社は嫌悪し続けてきたが、さらに畏怖し、これを壊滅しなければならないと決意した。全執行委員を懲戒解雇することによつて、組合に重大な打撃を与え、あわよくばなくしてしまうことおよびこの処分によつて組合に接近しようとする第二組合員に恐怖心を起こさせ、統一を阻害させようとしたことは明らかである。

以上の事実の詳細は後記「3本件解雇の本質および背景」で述べるとおりである。

したがつて、本件解雇は、労働組合法七条一号および三号に規定する不当労働行為であり、無効である。

(四) 本件解雇は協議義務に違反する。

会社と組合との間には、人事に関する労働協約があり、右協約第二条には、人事の件については本人の意向を充分尊重し、組合と協議のうえきめる旨の、また第六条には、会社は組合員の人事、移動については組合と協議し本人の意向を充分尊重して行なうことを確認する旨の、それぞれの定めがある。右条項に「人事移動」というのには、解雇等すべての人事移動を含むことは明らかである。

しかるに、債務者は、なんら組合と協議することなく突如本件解雇をしたもので、これは右協約に違反し、無効である。

この点に関し、債務者は、右協定の運用について組合との間で懲戒解雇には協議を要しない旨その他の意見の一致を見たことがあると主張するが、そのような事実はない。昭和三七年三月六日行なわれた団体交渉の経緯はつぎのとおりである。

すなわち、会社はその頃、組合と協議をすることなく、一方的に組合員である渡辺祐平に対し出勤停止の処分をしてきたので、組合は右三月六日の団体交渉で、右処分をするにつき協約にもとづいて協議をしなかつたことに抗議し、協議することを求めた。しかし、交渉の結果、渡辺の件については処分の理由が事実において誤りなく、かつ、会社が解雇を強硬に主張したので、やむなく解雇を承認せざるをえないことになつた。しかし、解雇が酷であることを主張した結果、会社もこれを認め、本人が依願退職することで意見の一致をみた。

そのさい、会社は、右人事に関する協約が存するにかかわらず、人事権は会社にあると主張し、今後の処分は組合と協議することなく一方的に行なう旨主張していたことがある。しかし、組合が協約の趣旨を否定するような会社の主張を肯認したことはなく、協約条項の運営につき会社主張のような三項目について意見の一致をみたという事実は全く存しないのである。したがつて、その後の運用においてこの通り実施されていたという事実もない。

さらに、会社は、組合が昭和三七年六月五日北海道地方労働委員会に対してした不当労働行為の救済申立書中に「会社が人事約款を一方的に破棄した」旨記載してある事実をとりあげ、その主張事実を裏付けんとしているが、右申立書は右救済申立の手続の過程において地労委の職員が作成したものであり、後日組合においてその表現の不正確を発見し「破棄」の字句を削除訂正しているのである。

(五) 本件解雇は労働基準法違反である。

労働基準法二〇条一項によれば、使用者は、労働者を解雇しようとする場合には、少なくとも三〇日前にその予告をするか、この予告にかえて三〇日分以上の平均賃金を支払わなければならない。

ところが、会社は債権者らに対し、なんら同条所定の予告期間をおかず、また予告手当を支給することもなく、本件解雇をした。しかも、会社は右措置につき同条三項、同法一九条二項に定める行政官庁の認定を受けていない。したがつて、本件解雇は労働基準法に違反し、無効である。

3  本件解雇の本質およびその背景

(一) 組合は昭和三七年二月六日上部団体である全自交の行なう春闘の一環として、五〇〇〇円の賃上げ、最低賃金一万五〇〇〇円、基本給二万五〇〇〇円の月給化ほか合計七項目の要求を会社に提示するとともに、右要求についての団体交渉を、全自交と、会社側の組織である中央業者団体との間で、統一交渉により行なうよう要求した。しかし、会社はこの統一交渉を拒否し続け、なんらの交渉が行なわれないまま一ケ月が経過した。その間組合は三月二日から数回にわたり全自交の指令による統一時限ストを行ない、中央における団体交渉の開催を求めたが、なんらの進展もみなかつた。

三月六日に至り、会社組合間で第一回の団体交渉が行なわれたが、会社は要求事項についてなんら触れず、不誠意な態度に終始した。組合はその後団体交渉の継続を申し入れたが、会社は一向これに応ずることなく、さらに一ケ月引き延ばされて四月七日に至つてようやく第二回の、同月一〇日に第三回の団体交渉が行なわれたが、これまた、会社は誠意をもつて解決する態度ではなかつた。

ところが、会社の働きかけによつて一部の組合員が脱退し、会社の援助を受けて第二組合を結成するに至つた。会社は一方で組合との交渉を拒否し続けながら、他方では第二組合と交渉を行ない、幹部となれ合いで、従来の労働条件をはるかに下まわる条件で妥結するという態度に出た。会社はさらに組合員に対して第二組合と異なる差別待遇を行ない、団体交渉を行なつても形式的で全く解決の誠意を示さず、処分をほのめかすなどして、ついには団体交渉を拒否してきた。

組合は、会社に、口頭あるいは文書をもつて事態の円満な解決を図るよう申し入れたが、会社は一顧だにしないので、やむなく、この会社の態度に抗議し反省を求めるためビラはりを行なつた。会社はこれに対して、五月七日執行委員四名に出勤停止一〇日、その他六名の組合員を訓戒処分に付するという暴挙をあえて行ない、翌五月八日には債権者及川を解雇したのである。

(二) 五月一〇日に処分問題で団体交渉が行なわれたが、なんら解決に至らず、以後も会社は団体交渉を全く拒否する態度を変えなかつたので、組合はあくまでも団体交渉による解決をめざし、北海道地方労働委員会に対して団交促進のあつせんを申請した。会社は地労委のあつせんにしぶしぶながら応じ、五月二四日、二六日、二八日、三〇日と団体交渉が開かれたが、会社はいぜんとして問題を解決する態度を全く示さず、なんらの進展もみなかつた。そうして、再度団体交渉を拒否した。

さらに、会社は、組合の正当な組合活動であるビラ貼り行為に対して暴力団を雇つてこれを妨害し、組合員に対する暴行が続発した。

しかし、組合は、あくまでも団体交渉によつて紛争の早期解決をはかる一方、業務を正常に行なつてきたが、会社は六月二二日突如先制的に不法なロツクアウトを通告した。会社はさらに六月分賃金(五月二一日から六月二〇日までの分)を支払わないという挙に出た。この賃金は、組合のたび重なる申入れおよび労働基準監督署からの勧告にもかかわらず支払われなかつた。そうして、組合員が札幌地方裁判所に賃金支払いの仮処分を申請し、審尋ののち決定が出される直前の一〇月末になつて、やつと、決定を受けることを免れるために、会社は一部の賃金を除いて支払うに至つた。

組合は右ロツクアウト通告後も正常な勤務を続けるべく就労を要求していたが、会社はこれに応じないばかりか、札幌地方裁判所に立入り禁止等の仮処分を申請した。この間も、会社の雇つた暴力団による組合員に対する暴行が続き、重傷者が出る始末であつた。ところが、右仮処分事件の審尋中の七月二〇日和解が成立し、相互に争議行為を中止して正常な業務を行ない、誠意をもつて団交をすることになつた。

右和解は組合の大はばな譲歩であつたが、これにもとづき業務再開の団交を行なつた際、会社側は第二組合から組合に復帰した組合員二名を解雇したとしてその就労を拒否することを主張し、さらに新たな処分を行なうことをほのめかし、これによつて和解の正当な履行を阻害する態度に出た。組合は平和的解決のため会社の反省を求めたが、会社はこれを受け入れず、ついで業務再開のための団交は拒否されるに至つた。

さらに、会社は七月二八日には再度ロツクアウトの通告を行ない和解の誠実な履行を全く放棄する態度を示した。組合はなおも全面就労と団交再開を要求し続けたが、会社はいぜんとしてその態度を変えなかつた。

(三) そのご、一一月に至り、組合の要求によつて交渉が再開され、春闘要求は取り下げ、問題を争議解決に際しての立上り資金と処分問題に限定して団交が行なわれ、結局処分は行なわないとの確認がなされ、事態は解決の方向に向かつた。

さらに、昭和三八年四月に行なわれた団体交渉では、会社は立上り資金については善処するとし、新たな処分は行なわないことを再確認し、解決のきざしがあらわれたが、そのご会社は最終的解決には全く熱意を示さなくなり、逆に組合が解決をさぼつているかのようにデマを流すありさまであつた。

八月一二日このような事態を重視した道地労委会長から双方誠意をもつて解決するようにとの勧告があり、八月一三日再び全道労協、札幌地区労、全自交を加えた団交が開かれ、ロツクアウトの解除、立上り資金についての交渉を行なつた結果、九月六日付をもつてとりあえずロツクアウトを解除することになり、同月一七日から就労するに至つたが、なお立上り資金についてはその後の交渉に譲ることになつた。このとき二ケ月の平和期間を定めた。

(四) そのご組合は就労後の労働条件(定期昇給、有給休暇等)について会社と団体交渉を重ねてきたが、会社は重要な段階になると団体交渉の引き延ばしをはかり、問題の解決を故意に引き延ばしてきた。さらに、一一月四日行なわれた団体交渉では、会社は平和期間の延長を申し出、組合はこれを認めたのであるが、他の懸案事項については、社長不在を理由に同月下旬の団体交渉で解決することを約していた。

かようにして組合は就労するに至つたが、当該組合員は三二名、第二組合員は一一〇余名という状態であつた。組合は就労後一日一項目の労働条件改善要求を出し、着々その成果をおさめていくなかで、逆に第二組合員からも信頼を受けるようになり、その接触も順次深めていつた。また、組合は同年の年末闘争においても第二組合と共闘の方向でこれを闘い、両者統一の機運が生じていたのである。

ところが、一一月一五日会社は代表取締役森下正好を解任して役員の交替を行ない、同月二八日突如及川を除くその余の債権者らに対して懲戒解雇を通告したのである。

かくして、退職者八名を含めると、結局組合員は一三名を残すのみとなつた。

4  保全の必要性

(一) 債権者らは債務者に対し解雇無効確認の訴を提起すべく準備中であるが、債権者らは労働者であつて、会社からの賃金のみで生計を維持しているので、本案判決の確定を待つては著るしい損害を蒙むるおそれがある。

(二) 及川を除く債権者らは、本件解雇がなされなかつたとすれば、本件解雇の日より昭和四一年五月末日までに別表一記載のような賃金を受けることになり、昭和四一年六月以降は賃金改訂がなされるまでの当分の間別表二記載のような賃金を受けることになる。

債権者及川は昭和三七年五月八日に解雇されたのであるが、解雇が無効であるとすると、組合員がロツクアウトを解かれ就労をした昭和三八年九月二四日から昭和四一年五月末日までに別表一記載の賃金を受けることになり、同年六月以降賃金改訂がなされるまでの当分の間別表二記載の賃金を受けることになる。

(三) 本件解雇通告以来債権者らは会社から従業員として取り扱われず、したがつて右の金員の支払いを受けていないが、賃金の支払いを受けなければ勿論、またこのように賃金が低く、期末手当は毎月の家計の赤字補給に費すものであり、また石炭手当は厳寒地という北海道の特殊性から絶対に必要なものであることからすれば、以上の支払いは労働者としての債権者らにとつて絶対かつ緊急に必要性を有する。

5  要約

よつて、債権者らが債務者に対して雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定めることおよびすでに支払期の到来している別表一の金員については即時に支払うこと、支払期の到来していない分については、会社が任意に履行することは期待できないので、賃金の支払期である毎月二五日に別表二の合計欄記載の金員を毎月分として支払うことを求めるため、本件申請に及ぶ。

二  債務者の主張

1  債権者らの解雇理由

債権者らの主張のうち1の事実は認める。

債務者が債権者らを懲戒解雇処分に付した理由はつぎのとおりである。

(債権者及川について)

(一) 同人にはつぎのような行為があつた。

(1) 昭和三七年一月二九日から二月一日まで四日間無断欠勤した。

(2) 昭和三七年四月二八日の時限ストの際に、会社の菊水支店の待合室兼運転手控室に数十名の組合員を立入らせ、会社から再三の立退を命ぜられたにもかかわらずこれに従わず、配車業務等の会社業務を妨害した。

(3) 同年五月四日および五月八日豊川稲荷等における組合大会に際して、会社の指示に反し、無断で会社所有の車輛多数を組合員をして持ち出させた。

また、このことについては、会社は同年四月一四日付文書で、組合の会合に際しては車輛を所属車庫に格納し、これを持ち出してはならない旨指示していたにもかかわらず、指導運転者の地位にありながら右の指示に反し、組合員をして前記行為をなさしめたのである。

(4) 同年五月七日および八日の両日にわたり、多数の組合員をして会社本社事務所入口に数十枚のビラ貼り行為をなさしめ、会社業務を妨害した。

(二) 右の事実のうち

(1)は就業規則七・四(イ)(正当な理由なく無断欠勤三日以上におよんだとき)

(2)は同   七・四(コ)(他人に暴行、脅迫を加えもしくは、業務の妨害をなしたとき)

七・四(ク)(業務命令に不当に反抗したとき)

(3)は同   七・四(オ)(会社に帰属すべき物品を無断で持出しまた持出そうとしたとき)

七・四(ク)(前出)

(4)は同   七・四(コ)(前出)

七・三(ア)(服務規律に違反しその情状重いとき)

にそれぞれ該当するので、各条項を適用し、情状については行為の内容が悪質である点などから酌量の余地なきものと認め、懲戒解雇処分に付した。

(及川以外の債権者らについて)

(一) 右債権者らは組合の副委員長、書記長または執行委員として争議の指導にあたり、つぎの(1)ないし(4)に示す不当な争議行為を企画指導し、また組合員らとともにみずからもこれを実行し、会社に対し重大な損害を与えた。

(1) 昭和三七年六月七日から同年七月一二日までの間において、組合は、札幌市南六条西三丁目所在の本社の車庫の看板、シヤツター、内壁、配車室の窓ガラス、壁および二階に通ずる階段、二階事務室入口付近一帯、事務室の内部、窓ガラス、壁、天井、机およびロツカー等、社長室内部の壁、天井、机、椅子および絵画等、同市南六条西五丁目所在薄野支店の看板、車庫内壁、配車室、窓ガラス、配車室内壁および机等、同市菊水西町七丁目所在菊水支店車庫、外壁、配車室兼待合室外壁および窓ガラス等に対してところかまわずビラをはりつめ、あるいは赤色または黒色塗料で落書をし、会社の財産に多大な損害を与え会社業務を妨害した。その詳細は別紙ビラ貼付行為一覧表のとおりである。

(2) 同年六月一九日から同年八月四日までの間本社事務室および社長室に組合員ならびに外部団体員多数を不法に侵入させ、これを占拠し、再三の立退要求にもかかわらず、これを無視して不法に占有し、会社業務を妨害した。

(3) 同年六月二二日午後九時三〇分頃菊水支店二階仮眠室に組合員らを侵入させ、同室備えつけの寝具多数を無断で持ち出し、会社の再三にわたる返還要求にもかかわらず、これを無視し、長期にわたつて使用した。

(4) 同年六月二二日から同年八月四日までの間、会社に帰属すべき営業用自動車八輛およびその車検証、エンジンキーを、会社の再三にわたる返還要求にもかかわらずこれを無視して、不法に占有使用し、会社業務を妨害した。

(二) 右事実のうち

(1)は就業規則七・四(カ)(故意または重大な過失により会社の財産に損害を与えたとき)

七・四(コ)(前出)

(2)は同   七・四(コ)(前出)

(3)は同   七・四(オ)(前出)

(4)は同   七・四(オ)、(コ)(いずれも前出)

にそれぞれ該当するので、各条項を適用し、情状については、行為の内容が悪質で、同種または異質の行為をくり返して行なつている点等から酌量の余地なきものと認め、懲戒解雇処分に付した。

以上のとおり、会社は解雇理由に示した債権者らの各行為を会社所定の就業規則にあてはめて懲戒解雇を行なつたものであり、なんら適用を誤つた事実はない。

なお、債権者らがいかなる主張をするかは自由なところであるが、昭和三九年二月二四日本件申請がなされてから二年有余を経過した段階において、いまさら就業規則の適用を云々するのは、あまりにも時機におくれたものであり、訴訟進行上からいつても好ましいものとはいえない。

2  本件解雇が懲戒権の濫用ないし不当労働行為で無効であるとの債権者らの主張は争う(債権者らが第一ハイヤー労働組合に属し、執行委員等の役員であつたことは認める)。

右の点に関する債権者らの主張は、つぎのとおり、いずれも理由がない。(以下の債務者の主張は、債権者の主張5に対する反論を含む。)

(一) 第一ハイヤー新労働組合の結成について

昭和三六年頃の組合役員改選の直後から昭和三七年四月の組合分裂に至るまでの間には、組合内部に組合の運営あるいは組合活動をめぐつていくたのトラブルが発生したが、それにもかかわらず、債権者及川ら組合指導者は組合の団結と統制を維持するための努力をなさず、全自交の指導による実情を無視したきわめて過激な組合運動を改めないため、みずから組合の統一と団結を破壊する結果となつたものであり、このことはまさに自招危難であり、会社の働きかけによるものではない。

(二) ビラはぎ清掃を加藤に依頼したことについて

会社は、組合が会社施設にはつたビラをはぎ、清掃するために、昭和三七年六月一六日頃から申請外加藤にビラはぎ清掃を依頼した事実はある。その事情はつぎのとおりである。

すなわち、組合は昭和三七年五月五日以降五月二三日まで会社の警告を無視し、連日会社の本社事務室入口付近などにビラはりをしていたが、五月二四日北海道地労委のなした団交促進に関する斡旋を受諾すると同時にビラはりを一時中止した。しかし、再び六月七日からいつそう激しく本社事務室入口付近は勿論、本社前面の看板、壁、シヤツター等に毎日数回に及んでビラはりを行なうようになり、六月九日には本社事務室、社長室に支援団体員を加え、四〇名ないし五〇名の者が侵入し、執務中の机など什器および壁などに四〇〇枚から五〇〇枚に達するビラをはるなどの暴挙に出た。

ところで、会社は当時通常に業務を行なつているのであつて、組合のはりつけたビラを放置するわけにいかず、そのつど管理職員がビラをはがし、清掃し、なるべく業務に支障を与えぬように努力してきたのである。しかしながら、六月中旬になるに及んで、

(イ) 組合の不当労働行為救済申立に対する準備の必要の生じたこと

(ロ) 六月九日本社事務室、社長室でのビラはり事件に対する札幌地検および札幌中央署の捜査が始まり、管理職員、事務職員が参考人として調べを受けるようになつたこと

(ハ) 札幌祭などにより業務が増大したこと

などの事情が加わり、業務の遅滞がいつそう激しくなつてきたため、六月一五日、部課長、支店長が会合し、この件について協議し、種々議論を重ねたが、管理職員に代つて、新しい組合に加入している従業員を使用することは、新旧労組の対立を激化し、いらざる紛争を惹起することは当然に予見される状態にあつたため、やむなく従業員以外の清掃人を依頼することに決め、申請外加藤に依頼したものであり、右加藤は数名の者とともに清掃に従つたものである。

ところで、債権者らの主張するように、七月二日正午すぎ市内菊水北町八丁目菊水病院前において加藤に所属する清掃人が組合の及川委員長、末崎執行委員に暴力を加える事件を惹起した。この事件は、組合が同日午前中に二回にわたり市内南一四条西一九丁目所在の社長留守宅に対しビラはりを行ない、その際ビラはぎ清掃人と紛争を惹起したことに関連して発生したものである。

当時会社は組合の違法な争議行為(会社施設に対するビラはり、本社占拠、車輛占有など)に対し、札幌地方裁判所に立入禁止、妨害排除の仮処分命令を申請中で、この件について七月四日に審尋が予定されており、また、六月九日の会社事務室、社長室等に対するビラはり等については、会社が告訴し、これを指揮した組合役員を警察が検挙することが予想される状態にあつたのであるから、会社としてはそのような時期に組合委員長に暴行を加えるなどまつたく予期せざるところであつたというより外にない。

組合のビラはりは六月末になつていよいよ激しくなり、会社の薄野支店、菊水支店、社長の私宅などに対し、六月二九日には一〇回、六月三〇日には九回、七月一日には四回、その他管理職員の自宅にまでビラはりを行ない、制止に出てきた家人及び飼犬にまで洗車ブラシでのりをかけるなど兇暴きわまらないものであり、そのような組合の気ちがいじみたビラはり、それに対するビラはがし清掃といつた中で、前記暴力行為が偶発的に惹起されたものなのである。

以上のとおり、会社がビラ清掃人を依頼したのは、組合破壊などの意図によるものではなく、組合の不当なビラはりに対する業務遂行上必要なビラはぎ清掃につきるものであり、したがつて、債権者らの主張はあたらない。

(三) ロツクアウトの正当性について

ロツクアウトの経緯については別に二8で述べるところであるが、会社のなしたロツクアウトが組合側の争議行為に対し対抗的にとられた正当なものであるとの判断は、すでに債権者らがロツクアウト期間中の賃金の仮支払いを求めた札幌地裁昭和三七年(ヨ)第三三五号賃金支払仮処分命令申請事件および札幌高裁昭和三八年(ラ)第四二号同即時抗告事件において明らかに示されているところであつて、不当不法なロツクアウトであるとの債権者らの主張は理由がないところであり、したがつて、債権者らのロツクアウト期間中の本件各行為が正当化されるいわれはない。

(四) 本件懲戒処分が苛酷であるとの主張について

債権者らは、組合の全執行委員に対して労働者にとつて死刑にも等しい懲戒解雇処分をもつて臨むことは苛酷であり、許されないものであると主張するが、本件懲戒処分の理由となつた各行為はきわめて悪質なものであり、しかも一時的突発的なものではなく計画的に長期にわたつて行なわれたものであり、いかに争議活動という異常な状態のもとで行なわれたものとはいえ、その各行為は会社従業員としてはとうてい許されないものであり、会社従業員としてその適格性を失なつたものとの評価を受くべきものであり、してみれば、会社のなした懲戒解雇処分は当然なものである。

ところで、本件懲戒処分の理由となつた各行為は債権者らを含む組合員全員によつて行なわれたことも明らかなところである。したがつて、組合員全員についても懲戒処分をなさねばならぬところであるが、本件争議行為の中心的役割を果したものについて考察し、事情を考慮し、制裁処分の範囲を執行委員ら組合役員に止めたものである。

また、及川以外の債権者らは、本件懲戒処分は突如として過去の争議責任を追及する形で出されたものであり、信義に反していると主張するが、会社は、組合が争議活動を始めた当初より、不法な争議にわたる場合は就業規則に照らし断固処分する旨終始一貫してくり返し述べてきたところであり、本件制裁処分が突如としてなされたとする債権者らの主張は事実に反するものである。

3  協議約款について

(一) 債権者らは、協約第二項所定の人事、第六項の人事移動には解雇等すべての人事異動を含むものであると主張するが、協約第二項には債権者ら主張のような定めはないし、また会社の行なつた本件懲戒解雇のごとき処分は、右協約のいずれの条項にも該当しないのである。

そもそも、本件協約を締結するに至つた経緯は、会社幹部が組合員の一部と相通じ組合に対する支配介入を行なつたことが組合幹部の知るところとなり、組合は臨時大会を開催して、その決議にもとづき、会社に対し会社が行なつた組合に対する支配介入につき厳重に抗議し謝罪せしめるとともに、会社と相通じた組合員の処分を要求したことに端を発し、団体交渉によつて会社に不当労働行為事実を認めさせ、今後会社をしてさような不当労働行為を行なわせないとともに組合の組織強化を図ることが協約の主要目的であつたもので、人事の問題はいわばつけたりにすぎなかつたもので、ただ配置転換、昇格等については、当時問題があつたところからそれを協約の中に入れたにすぎないものである。

すなわち、右協約の締結にあたつては、人事権はあくまで会社にあることを認め、それを前提として話が進められ、会社の行なう人事権のうち、配置転換、昇格についてだけ、組合と協議をしてきめるということでその旨の協定が協約中に規定されたものであり、会社の行なう採用、懲戒処分等については、もとよりその協約には含まれていなかつたのである。

組合は昭和三四年五月二六日付で会社に対し会社の幹部の行なつた組合に対する支配介入について厳重に抗議するとともに、謝罪文を要求し、あわせてそのさい組合より除名された永沢福三、斉藤昭一、丸尾了の三名の会社からの即時解雇を要求する文書を会社に提示し、数次にわたる団体交渉が行なわれ、その結果昭和三四年六月二九日前記協定が締結されるに至つたもので、協定の内容は、不当労働行為事件について終止符を打つとともに、組合の組織強化を図ることを内容としたものである。

右協約第五項においては、非組合員の範囲を明確にするとともに、会社の従業員は、非組合員として範囲を定めた者のほかは、すべて組合員でなければならないとする、いわゆる完全ユニオンシヨツプ協定を締結したものである。ユニオンシヨツプ協定は人事権が会社にあることを前提とし、組合から要求があれば組合未加入の者、組合より脱退した者、組合から除名された者を会社において解雇しなければならないというものであり、したがつて、右協約締結当時においても、組合が会社に人事権があることを認めていなかつたならば、このような完全ユニオンシヨツプ協定は締結しなかつたはずのものであり、したがつて、この点からしても採用、懲戒等はこの協定書に示される人事移動に含まれていなかつたことは明らかであり、特に配置転換、昇格等が問題になつたので、これについてだけは組合と協議するという趣旨で、人事移動について組合と協議するということになつたのである。

以上のことは、右協定に付帯して会社組合間に取りかわされた覚書(甲第二号証)の第二項に、人事移動(豊平配車班長美園豊平配置転換)は再度協議するという条項のあることと対比するといつそう明らかとなる。

(二) 仮に協約の人事約款が懲戒解雇を含むものであつても、昭和三七年三月六日の団体交渉において当事者間の合意により懲戒解雇を含まない趣旨に変更された。

すなわち債権者ら主張の協定は、その内容がきわめてばくぜんとしていたところから、昭和三七年三月六日の団体交渉においてその条項の運用について討議がなされることになつた。この団体交渉の議題は当初春闘要求に関する事項であつたが、当時従業員であり組合員であつた渡辺祐平が運賃料金に関する不正をしたため、その調査がすむまで出勤停止を命ぜられた事実があり、このため組合は右会社のなした措置は協約の「人事の件は本人の意向を充分尊重し会社と組合協議決定」に反する措置であるとして、昭和三七年三月五日文書をもつて三月六日の団体交渉の議題に加えることを会社に申し入れし、当日の議題となつたのである。団体交渉の席上会社は、人事に関する協定といつても内容がきわめてばく然としており、運用にあたつても明確にしたいと主張し、この件について、

(1) 従業員の昇進等については本人の意向を尊重し、かつ組合と協議してきめる。

(2) 勤務不良などを理由とする処分はこれに先立ち組合と協議する。

(3) その他の人事条項である採用および本採用、制裁処分等は会社が行ない、かならず社報で明らかにする。

ということに、会社組合の意見が一致し、以後は右決定にもとづいて協約の運用を行なうことに決め、この問題を解決したのである。

したがつて、その後においては、会社は、組合員資格の喪失を伴なう管理職への昇進等については、本人の意志を尊重し、かつ組合と協議することを要し、また勤務成績不良等を理由とする解雇等の処分については、事前に組合と協議することを要することとなり、それ以外については、会社のなした人事事項について社報により明確にする義務を負うほか、組合の拘束を受けないことになつたのである。その後右の定めにしたがつて本条項は運用され、組合においてもなんら異論のなかつたところである。

右のような合意の事実に関し、昭和三七年三月六日の団体交渉において会社が人事権は会社にあると主張し、今後の処分は組合と協議することなく一方的に行なう旨主張していたことは債権者らの自認するところであるが、一方債権者らは組合が協約の趣旨を否定するような会社の主張を肯認するような合意をしたことはないと主張する。しかし、組合から北海道地方労働委員会に対する昭和三七年六月五日付「不当労働行為救済申立書」(疏乙第二六号証の二)には、第二不当労働行為を構成する事実3(2)において「三月六日の団体交渉において会社が労働協約の人事協議約款を一方的に破棄し一名の解雇を認めざるを得なかつた」との記載があり、また組合員らからの札幌地方裁判所昭和三七年(ヨ)第二二三号賃金支払仮処分命令申請事件において提出された組合委員長及川静雄作成の陳述書(疏乙第三三号証)にも、この点について「今後人事処分については一方的に行う」と書かれてあり、以上のことは、その経緯が一方的であつたかどうかはさておき、組合が会社の措置を認めていたことを裏付けるものである。

労働組合法一五条には、期間の定めのない協約については文書によつて九〇日間の予告期間をおいて解約することができる旨の規定が存するが、当事者の一方が解約しないかぎり、いつまでも協約が有効に存続するというものではなく、当事者が合意をすれば協約の効力を変更または消滅させることが自由にできることは、法解釈上争いのないところである。右に述べたとおり、会社と組合との間に、採用、制裁処分は会社が一方的に行なうと合意ができたことが明瞭であるから、かりに従来は懲戒処分について協議を要するものであつたとしても、この時点以後においては協議の義務がなくなり、したがつて本件解雇について協議しなかつたことはなんら協議義務違反とはならない。

(三) 仮に以上の点が認められないとしても、従来会社、組合の双方において協議義務がないものとして取り扱つてきた事実があるから、この協約は失効したものと解すべきである(東京高裁昭和二八年四月一三日判決参照)。

すなわち、昭和三七年五月上旬懲戒解雇となつた富沢彰、池田和典、出勤停止となつた木下修、谷地政和、佐藤寛一、末崎茂、伊藤秀光、木村喜博、降職となつた坂下邦雄等について会社組合双方において協議をした事実はなく、また組合においてもこれらの処分について協議の申入れをした事実もなく、本件各債権者についても前記協定にもとずいて協議の申入れをした事実もないのである。

(四) 本件協定はいわゆる秘密協定であるから債権者らは協議義務違反を主張しえないものといわなければならない。

本件協定は、前記覚書(疏甲第二号証)第四項において、本協定書ならびに覚書については会社組合間において確認し外部に発表しないことを確約する旨が規定されている。およそ協約であるためには、双方の代表者が署名捺印したうえ、それを外部に対し公表しうるものでなければならない。すなわち、協約の規範的部分は直接組合員を拘束し債務的部分は組合を拘束するものであるから、いずれにしろ外部に対し公表しうるものでなければならない。しかるに、本件協約のごとく外部に公表しえないようなものは、いわゆる協約として当事者を拘束することができないものといわねばならず、したがつて、仮に協議義務ありとしても、組合所属の組合員である債権者らは、みずからその協議義務違反を主張しえないといわねばならない。

(五) なお、協議義務違反に関する債権者らの主張は、昭和三九年二月二四日本件仮処分申請がなされてから一年半余を経過してはじめてなされたもので、これは時機に遅れた抗弁ともいえるのであつて、本件解雇が協議義務違反ということであれば、債権者らは申請の当初から主張しているはずであり、その点からしても債務者の主張を裏付けることができるものである。

4  労働基準法上の手続について

本件解雇は労働基準法二〇条一項但書の労働者の責に帰すべき事由にもとづく解雇であつて、予告期間の設定、予告手当の支払義務のないものである。ただ、手続上いわゆる労働基準監督署あてに解雇予告除外認定の申請をし、その認定を受けることを要するのである。しかも、労働基準監督署がなす認定不認定の措置は解雇の効力にはなんら影響を与えるものではない。

すなわち、労働基準監督署のなす認定不認定の処分については、労働基準法二〇条一項但書に記載ある事由が存在する場合は、行政官庁の認定を得なくても使用者は有効に即時解雇できるのであり、右認定は、事由が客観的に存在しているかどうかを確認する手続にすぎない。かりに、監督署が、認定すべきでない事件について誤つて認定したとしても同法二〇条一項但書の事実があることになるわけではないから、即時解雇の効力は発生をみないことになり、したがつて、監督署のなした認定の処分は解雇の効力を有効化するものではないのである。してみると、右但書の規定は、その事由があれば使用者は労働者を有効に即時解雇できるが、しかし使用者が一方的に判断したのであれば、労働者の保護は全うされないおそれが生ずることになるので、それについては行政官庁の事実確認の処分を受けなければならないとし、判断の公正を期そうとする制度にほかならない。

ところで、本件解雇について、会社は昭和三八年一一月二八日札幌労働基準監督署にあてて解雇予告除外認定の申請をしており、手続上はなんら手落ちがないのである。ただ同署は昭和三九年一二月一二日付で、本件解雇は組合活動の正当性の評価を含むものであり、認定不認定の判断ができないので一応却下するという措置をしたのである。そうして、この措置は解雇の効力には関係なく、労働基準法二〇条三項違反については、将来判定しうる資料(組合活動に関する裁判所の判断等)を付して再度申請しなければ違反が成立するのみであつて、会社は本件においては右再度の申請をしていないにすぎないのである。

5  債権者らの賃金請求権の不存在について

(一) 債権者及川は、懲戒解雇されてからのち昭和三八年九月六日会社組合間において調印された確認書(疏乙第七号証)において、その所属する組合が会社の行なつた解雇処分を認め、就労しないことを確認しているのであるから、当然に賃金請求権を有しないのである。

(二) 及川を除く債権者らは、違法不当な労働争議を企画、指導、実行したことにより債務者会社所定の就業規則にてらし適法に懲戒解雇されたものであるから、当然に右債権者らは賃金請求権を有しないのである。

(三) 仮に債権者らに賃金請求権があるとしても、賃金請求がなされたのは昭和四一年六月一三日であるから、すでに二年を経過した分については、労働基準法一一五条に定める消滅時効により、その請求権は消滅したものであるから、右時効を援用する。

(四) 仮に以上の点が認められなくても、債権者らは、自動車運転手として、つぎのとおり稼働収入を得ているので、その金額は民法五三六条二項但書のいわゆる「自己の債務を免れたるに因りて得たる利益」に該当し、したがつて賃金から控除せらるべきである。

(1) 昭和三九年一月から二月にかけて、日本運転士組合北海道支部を通じて、市内ハイヤー会社において本名または変名を用いて稼働し、つぎの収入を得ている(かつこ内は変名である)。

木下修(渡辺信)   四万六三三八円

佐藤寛一(松下寛一) 三万三〇八九円

多賀一也(沢崎一也) 三万三〇七三円

坂下邦雄(出口邦雄) 一万六九〇八円

谷地政和(北岡一郎) 一万三五四五円

末崎茂(渡辺信男)  四万四七一二円

伊東昭宣(中沢彰)  五万一五八九円

(2) 同年三月六日から四月二日までの間、前記運転士組合を通じ、市内篠路ハイヤー(現在アカツキハイヤー)において前記変名を用いて稼働し、つぎの収入を得ている。

木下修          二七一七円

佐藤寛一         三一九六円

谷地政和         五七〇三円

伊東昭宣       一万三六二九円

坂下邦雄       一万一一三四円

(3) 同年九月四日から一〇月一九日までの間、市内ひばりハイヤーにおいて、鳴海晋三は高橋進、小島要は佐藤某のそれぞれ変名を用い、その他の者は前記変名を用いて稼働し、つぎの収入を得ている。

鳴海晋三       四万四七九六円

小島要        一万八二一九円

伊東昭宣       四万八二七九円

佐藤寛一       四万〇五九九円

木下修        五万一九二四円

多賀一也         三七一一円

坂下邦雄         二四九〇円

6  仮処分の必要性の不存在について

(一) 債権者らの主張のうち「4保全の必要性」と題する部分に対する認否

右のうち(一)の事実は争う。(二)の事実は認める。ただし、別表一記載の期末手当とあるのは賞与である。(三)の事実のうち、債権者らが本件解雇通告以後債務者会社から従業員として扱われず、賃金の支払いを受けていないことは認めるが、その余の事実は争う。

(二) (1) 債権者及川については、前記のように組合が、会社の行なつた解雇処分を認め、就労しないことを確認しているところであるから仮処分の必要性はない。また、仮処分制度は本来緊急性を特質とするものであるところ、債権者及川は解雇処分後ただちに救済を求めず、右処分を受けてからすでに一年一〇ケ月を経過してはじめて本件申請を提起したものであるから、仮処分の必要性がないものといわなければならない。

(2) 及川以外の債権者らは、本件申請を提起した当時において、懲戒解雇処分を受けてからすでに三ケ月を経過しているから、同じく緊急性の点からみて仮処分の必要性はないといわなければならない。

(三) 仮処分による賃金支払は、その生活維持の最少限度にとどむべきである。債権者らは、現に、その最低限度以上に生活が維持できる状態にあるから、著しい財産上の損害をこうむるおそれはなく、本件仮処分申請は必要性がないというべきである。すなわち、

(1) 債権者らは、解雇処分を受けた直後から札幌市に対し生活保護法の適用を申請し、それぞれ札幌福祉事務所から毎月つぎの金額の生活保護費の支給を受けている。

坂下邦雄       一万九三四一円

谷地政和       二万二一〇〇円

木下修        二万〇三〇〇円

鳴海晋三       二万〇七八一円

伊東昭宣         九八八一円

小島要        一万五二一六円

佐藤寛一       二万一八三六円

多賀一也       一万九七六一円

末崎茂        一万三四〇〇円

飯村平        一万四六八六円

及川静雄       二万二〇〇〇円

(2) 債権者らは自動車運転手として、前記5(四)(1)、(2)、(3)のとおり稼働収入を得ている。

(四) 仮に以上の主張がいれられないとしても、前記のとおり賃金仮支払いの性質上別表一に記載してある賞与(この表においては期末手当と呼称しているが)および石炭手当は仮支払いの必要性がない。

(五) 仮に債権者らが賃金支払いを受けた場合には、前記のごとく、毎月札幌市から支給を受けている生活保護費は法律上ただちに札幌市に返還しなければならないことになつているのであつて、結局債権者らの取得するものとならないので、仮処分によつて賃金支払いを求めるほどの緊急性は存在しないものといわなければならない。

7  本件争議の経緯

(一) 組合は、昭和三七年二月六日会社に対し、基本給を二万五〇〇〇円以上とし、月給化することなど七項目を全自交傘下の労働組合の統一要求とし、他に単組要求として二項目、さらに右統一要求七項目については同年二月五日の組合臨時大会の決定によつて交渉権を全自交本部に委譲したので、会社においても中央業者団体にすみやかに委譲することを要求する旨の要求書を会社に提出した。

同年三月六日第一回の団体交渉が開かれたが、組合は会社に対し、交渉権をすみやかに全国乗用自動車協会(以下全乗協と略称する)に委譲することを要求し、会社は、全乗協等でこの問題について種々検討している段階にあるので会社の態度をきめられない旨回答した。

その後四月七日第三回の団体交渉が開かれ、その冒頭において会社から、交渉権の委譲ということは、全乗協、北乗協ともに全自交の統一交渉に応じられないことに決定したから、会社においても交渉権の委譲はせず、単組交渉をもつて今次春闘要求を処理する旨を述べ、組合もこれに同意した。そこで、会社は、組合の要求の内容を明確にするため各項目ごとに組合の説明を求めたが、要求一〇項目中四項目については組合において保留または訂正を申し出るという結果となり、組合は要求事項を明確にするため要求書を四月九日までに書き改めて会社に提出することを申し出てこの日の団体交渉を終えた。組合は四月九日訂正した要求書を提出したが、四月一〇日朝になりこの新しい要求書を撤回した。

四月一〇日午後の団体交渉において会社は、組合の要求事項が明確になつたのでこれに対する回答は文書をもつて行なう旨を約束し、団体交渉を終えた。

会社は四月一四日午後一時頃会社事務所において、組合の要求はこれを受けいれられない旨を記載した文書を組合に手交した。

この間において四月一二日組合は分裂し、第一ハイヤー新労働組合の結成をみた。分裂の理由は、脱退声明書によると、

(1) 第一ハイヤー労働組合の過激な運動方針についていけない

(2) 委員長が執行委員会の決議を無視する

(3) 組合は政治闘争体制に傾いている

等である。この組合は、同年四月二七日会社との間に勤務ならびに賃金に関する協定を締結し、現在組合員は一二〇名に達し正常に業務に従事している。

ついで、四月一五日から五月二日までの間に六回にわたり団体交渉を行ない、会社は組合に対し、要求事項を整理して交渉の能率化を計るよう説得してきたが、組合は自己の要求は正当であるとして一歩も譲らず、五月一〇日には本社(当時札幌市南六条西三丁目所在)社長室に、まこと、札交、富士、中央などの労働組合員の支援を得て不法に侵入し約三時間社長室を占拠した。またこの日午後四時から同市南三条西一三丁目所在の都市会館において開催された団体交渉には、従来の慣行を無視し、会社側交渉委員が三名であるのに対し、組合は支援団体員を含め約七〇から八〇名の多数の者が出席し、一時に多数の者がわめき立て、ば声がとぶ暴力的な交渉で、事実上団体交渉とはならず、午後八時三〇分頃都市会館管理者の立退要請でやつと終つた。

翌五月一一日本社社長室において、全自交佐藤副委員長、及川第一ハイヤー労働組合委員長等と団体交渉の運営の正常化について話合いを行なつたが、会社は、前日のように大勢の者が気勢をあげるような状態では団体交渉とはいえないし、当然交渉も進まないから、交渉を開くにあたつて第一に交渉の人員を制限し、氏名および権限を明らかにしなければ交渉はできないと述べ、組合は、全自交は交渉人員を制限されなければならないほどおちぶれてはいないと述べ、団体交渉の運営をめぐつてもの別れとなつた。

組合は昭和三七年五月一六日北海道地方労働委員会に、団体交渉促進についての斡旋を申請し、会社も斡旋を受けることに同意し、五月二二日同労働委員会の示した。

(1) 組合は要求項目を整理する

(2) 交渉委員は双方八名以内とする

(3) 会社、組合が交渉を委任した者については氏名および権限を通知する

(4) 傍聴は相手方の同意を必要とする

(5) 一回の交渉時間は二時間から三時間以内とする

等により団体交渉の能率化をはかるという骨子の斡旋案を双方受諾し、これにより五月二四日、二六日、二八日、三〇日団体交渉が開催されたが、組合側の要求項目およびその内容は一向に整理できず、五月三〇日会社は、団体交渉が一五回にも及んでいるにもかかわらず、なんらの進展をみないで同じことをくり返しているのではどうにもならないし、会社の現状からして会社も組合要求のような形では譲歩できない、したがつて四月一四日付の回答文書を今次春闘要求に対する最後回答とすると答え、団体交渉を打ち切つた。

(二) 前記要求書提出後組合は、全自交の指令により三月二〇日、三月二八日、四月六日二時間から三時間の時限ストを行ない、さらに要求書の不明確を認め、要求書の書き直しを申し出た段階において四月一〇日、ついで四月一五日、二一日、二八日各四時間のストライキを決行し、また五月四日、八日、一〇日、一四日には明番集会あるいは全員集会を開いた。

また、四月二〇日および五月七日から五月二三日までの間連日制裁処分の撤回、要求貫徹などの趣旨を記載したビラ多数を、会社の注意警告を無視して、会社本社事務室入口付近など一帯にはりつけ、会社業務を妨害し、建物に損傷を与えた。

さらに、六月七日からはビラはりは連日一段と激しくなり、一日数回にわたつて本社建物前面シヤツター、車庫内部配車室窓ガラス等にもビラをはりつけ、特に六月九日には本社事務室、社長室に支援団体員を含め約四〇名の者が不法に侵入し、同室内、机、ロツカー、絵画等、什器、窓ガラス、壁、天井等建物に約四三〇枚に達するビラのはりつけを行なう暴挙に出、ついで六月一九日にいたり、菊水支店車庫において支援団体員を交え約一〇〇名の者が、午前九時頃から会社の許可なく集会を開き、携帯拡声器で労働歌を放送し、車庫東側全面の壁、窓ガラスにビラをはり、赤色塗料で壁に首切り反対と書きこみ、かつ、配車室の周囲の窓ガラスにすき間なくビラをはり、オルグ等数名が示威演説を行ない、午後一時すぎまで会社業務を妨害し、引き続き午後一時三〇分頃から本社事務室に侵入してこれを占拠し、会社からの再三にわたる立退き要求にもかかわらずこれに応ぜず、かつ前記集会後組合員が、乗務を担当する営業用自動車一五輛の客席ドアおよび後部トランク上部等にビラをはり、会社の指揮管理を無視する行為に出たため、売上もいちじるしく減少するに至つた。

(三) そこで会社は、組合の争議行為に対抗して、六月二二日午前九時以降全事業所について無期限にロツクアウトをする旨組合に通告した。しかし、組合はロツクアウト後も引続き本社建物を占拠し、営業用自動車を当初は六輛、六月二六日からは八輛を自己の管理の下において運行し、かつ六月二二日午後一一時三〇分頃、菊水支店二階仮眠室から寝具多数を持出し宿泊の用に供し、かたわら菊水、薄野両支店に対して連日ビラはりを決行し業務を妨害した。

このような情勢に対して会社は、札幌地方裁判所に仮処分命令を申請し、社屋および自動車、車検証、エンジンキーの返還ならびに組合の立入禁止の仮処分を求めた。右手続中において七月二〇日裁判所の勧告により、

(1) 会社、組合は相互にその争議行為をやめ、組合所属の組合員は会社の管理の下に正常な業務に従事すること

(2) 会社、組合は今後二ケ月間一切の争議行為を行なわないこと

(3) 会社、組合はおたがいに誠意をもつて団体交渉をすること

を趣旨とする和解が成立した。

その結果会社のロツクアウトは解除となり、組合の争議行為も終了し、組合は、その占有してきた会社本社建物ならびに営業用自動車八輛を会社に返還しなければならず、また組合員は、会社の指揮命令のもとに業務に従事しなければならなくなつたにもかかわらず、組合は言を左右にして依然として不法行為を続け、七月二一日、二二日に開かれた事務折衝において和解条項とは別個の解雇問題を持出し、この制裁処分を会社が撤回するのでなければ、会社の本社建物および車輛の返還には応じられないし、また就労もしないと主張した。さらに仮処分事件担当の裁判官からも、組合代理人を通じ、和解の線にそつて正常の状態に復帰し、その後において制裁処分等の問題を処理するよう勧告されたにもかかわらず、組合は依然態度を改めず不法不当の行為を継続した。

そこで、会社はやむなく七月二八日組合に対し同日午後一時以降再びロツクアウトする旨通告し、七月三〇日札幌地方裁判所に前同旨の仮処分命令を申請し、翌七月三一日本社建物、自動車、車検証およびエンジンキーの執行吏保管、組合員等の立入禁止等の仮処分決定を得た。右仮処分決定は八月四日執行され、本社建物および自動車八輛に対する組合の占有は解かれたが、自動車に付随する車検証およびエンジンキーについては、組合は見当らないと称し、執行吏に対する引渡しを拒んだ。

さらに組合は、八月六日本社建物に接着してそのほぼ全面にわたり歩道に天幕小屋を構築し、会社の入口をふさぎ、会社の本社建物使用を不能ならしめた。この天幕小屋は一〇月はじめまで存置した。

(四) 前記仮処分執行後も団体交渉が続けられ、会社は組合に対し車検証、エンジンキー、ふとん等を返還し、本社に掲げた赤旗および天幕小屋の設置などの不法行為をやめ、正常に就労して事態の解決をはかるよう主張したが、組合は処分の撤回、大巾賃上げ等を含めた従前の全面同時解決の主張を変えなかつた。会社は組合ないしその上部団体との団体交渉を一二月初めまで一〇数回にわたつて行なつたが、組合は争議行為を中止するに至らなかつた。

昭和三八年一月二四日北海道労働組合協議会高橋共闘部長、藤田教宣部長、札幌地区労山崎議長、岡本副議長と、会社との間で事態早期解決について話合いを行ない、組合側は全自交本部との意志統一を行ない、団体交渉を再開する旨を述べた。三月二九日全自交本部伊坪委員長、佐藤副委員長、金良書記長らが札幌に来て、三月二九日、三〇日、三一日団体交渉を行なつたが、双方ともに解決について意見を交換したのみで結論に到達しなかつた。そこで組合は、金良書記長を四月初め派遣して交渉を進める旨を約束したが、同書記長は派遣されなかつた。四月二七日全自交本部役員が中央執行委員会のために札幌に来て、その折伊坪委員長から五月七日頃から団体交渉を再開したい旨申入れがあり、会社もこれに同意した。しかしながら全自交本部役員の派遣はなく、団体交渉は開かれなかつた。

この間にあつて、四月二五日札幌地方裁判所は、組合の申請したロツクアウト期間中の賃金支払仮処分事件において、会社のしたロツクアウトの適法であることを認め、組合の申請を却下した。

ついで八月中旬全自交本部の小坂、長谷川両副委員長ならびに全道労協田村共闘部長の来訪があり、団体交渉の再開の話がまとまり、八月二二日、二七日、二九日、九月四日、六日に団体交渉を開催し、九月六日つぎのような内容の確約書を取り交した。

(1) 組合は会社の指揮管理の下に正常な業務に従事する。したがつて就労に先立ちつぎの事項を履行する。

(イ) 会社施設から赤旗を撤去する。

(ロ) 車検証、エンジンキーを返還する。

(ハ) 寝具を、使用できる状態にして、返還する。

(ニ) 車輛占有期間中の営業行為を明らかにし、その収入を会社に引き渡す。

(ホ) 会社事務所占拠期間中の市外電話料三万六六八五円を支払う。

(2) 労使双方は就労の日から二ケ月間一切の争議行為をしない。

(3) 会社は昭和三八年九月六日午後一時ロツクアウトを解除する。

これをもつて、争議状態は終り、正常に復した。

第三疏明〈省略〉

理由

第一当事者間の雇用関係および解雇の事実

債務者が札幌市内においてタクシー業を営む株式会社であること、債権者らはいずれも期限の定めなく会社に雇用され、タクシー運転の業務に従事していたところ、会社が債権者及川に対しては昭和三七年五月八日、その他の債権者らに対しては昭和三八年一一月二八日、それぞれ懲戒解雇に付する旨通告したことは、当事者間に争いがない。

第二本件解雇の効力

一  及川以外の債権者らに対する解雇の効力

債権者及川についての判断はしばらく措き、その他の債権者らに対する解雇の効力について、まず、協議義務違反の主張から判断することとする。

1  成立に争いない疏甲第一号証によると、昭和三四年六月二九日付会社組合間の協定書には、その第二項に「会社は今後絶対に不当労働行為を行わないことを確認し、会社の運営、人事、その他総てを民主的に行い、組合と協議し充分意向を尊重して行うことを確認する。」との記載が、また第六項に「会社は組合員の人事、移動については組合と協議し本人の意向を充分尊重して行うことを確認する」との記載があることが認められ、その文面からするかぎり、右各条項、とりわけ第六項の内容は、要するに組合員の人事に関しては、会社が組合と協議すべき義務を定めたものと解せられ、その定めが右協定書という書面によつてなされていることおよびこれに両当事者の記名押印がなされていること(いずれの事実も前記疏甲第一号証によつて認められる)から考えると、右協定はとりもなおさず、会社組合間の人事に関する労働協約ないしは労働協約の人事協議約款であるということができる。そうして、一般に、使用者と労働組合とが人事に関する労働協約を締結し、あるいは労働協約中に人事協議約款を置くについて、人事の範囲についてその協約中に特別の定めを設けない場合は、人事というのには、従業員の採用、解雇、昇進、異動等あらゆる人事を含むものと解するのを相当とする。

2  しかるに債務者は、本件懲戒解雇のごとき処分は右協約に含まれないと主張するので、まずこの点について判断する。

この点に関する債務者の主張は、要するに、前記協定書は主として会社の行なつた不当労働行為に関して作成されたものであつて、人事の問題はつけたりにすぎず、しかも配置転換、昇格についてのみの定めがなされたにすぎないというのであるが、右協定書(疏甲第一号証)の文面からはそのような趣旨を読みとることはできない。

ただ、成立に争いない疏甲第二号証と疏乙第三四号証、証人新田安広の証言(第四回)により真正に成立したものと認められる疏乙第三五号証に債権者及川静雄の本人尋問の結果(第六回)を綜合すると、昭和三四年五月頃組合員のうち申請外永沢福三、斉藤昭一、丸尾了の三名がいわゆる分派活動をおこし、この動きに会社の管理職員が加わつていたことが明らかになつたため、組合は同月二六日右三名の組合員らを除名するとともに、会社に対し、右除名された組合員らの解雇、組合に対する支配介入に及んだ前記管理職員の処分及び右職員の行為についての会社の謝罪を要求し、この結果双方の間に団体交渉が開かれるに至つたこと、数回にわたる団体交渉の結果、同年六月二九日会社組合間に、会社が不当労働行為を認めることを骨子とする協定書(疏甲第一号証)が作成されるとともに組合は右の三つの要求を取り下げ、事態は円満に解決したこと、したがつて、右協定書の第一ないし第六項の各条項はいずれも不当労働行為に関連するものであつて、前掲第二項および第六項のような人事条項を設けたのも、当時会社の管理職員の気に入りの者に対し、公正を無視して特によい車輛を担当させたとか、勤務場所の配置にあたり優遇をしたとか、あるいはまた、前記申請外永沢福三が間もなく班長に昇格するなどの噂が出ていたなどして、これらの処置が公正を欠くとか、差別待遇であるとか、あるいは反組合的であるとかの議論があつたため、これがきつかけとなつたものであること、そして当面問題となつていた昇任および配置転換については再度協議するものとして、これを前記協定書と同日付で作成された覚書(疏甲第二号証)の第二項に明らかにしたこと、以上の事実が認められる。

右の事実によれば、前記協定成立に至る直接の動機の一つは、従業員の配置転換あるいは昇任にあるというべきであるが、これをもつて、ただちに右協定にいわゆる「人事」を配置転換および昇任に限定して解すべきものということはできない。すなわち、右協定の際協定書のほかにことさらに覚書を作成し、これには具体的な昇任と配置転換の問題をとり上げる一方、協定書においては人事ということを右の二つの問題に限る趣旨を明らかにせず、一般的に単に人事とのみうたつているにすぎないことは前示認定のとおりであり、また債権者及川静雄の本人尋問の結果(第六回)によると、当時までの間会社と組合との間には労働協約は存在していなかつたため、その締結のために団体交渉を重ねてきたにもかかわらず、結局成立に至らない状態にあつたところ、たまたま前記のような会社の不当労働行為が発生したため、これをきつかけとし、特に労働組合に対する支配介入は会社が人事権を操作することによつてなされやすいという事実を考慮し、さしあたり人事に関する労働協約だけでも成立させたいとの意向を組合が持つていたことが認められるのであつて、前記協定の成立にあたつて、当事者が、人事の内容を制限したものということはできないのである。また、成立に争いない疏乙第二六号証の一によると、昭和三七年三月五日組合が、会社の申請外渡辺祐平に対する出勤停止処分は、人事の件は本人の意向を十分尊重し、会社と組合とが協議して決定するという協約に反するとして、右渡辺の処分について協議することを会社に申し入れた事実が認められ、右協約が前記昭和三四年六月二九日付協定書にもとづくものを指すことは明らかであり、また右の出勤停止処分が懲戒処分の一種であること(このことは成立に争いのない疏乙第二九号証によつて認められる)からすれば、組合が右のような申し入れをしたことは、組合が前記人事に関する協定というのには懲戒処分も含まれると考えていたことのあらわれであるというべきであつて、これもまた、右の判断を支持する証左とすることができるのである。

結局、会社組合間に昭和三四年六月二九日付で成立した協定(以下本件協定という)はいわゆる人事協議約款を含むものであり、その人事というのは、昇任、配置転換のみでなく、あらゆる人事を指すものであるというべきである。前顕疏乙第三五号証の記載のうち、右の事実に反する部分は採用できない。

なお債務者の主張のうち、ユニオンシヨツプ協定の存在を根拠とするものについては、会社に人事権があることおよびこれをユニオンシヨツプ協定の締結という形で組合が承認することと人事協議約款を定めることとは決して矛盾するものではないことを考えれば、全く理由がないことが明らかである。

3  つぎに、債務者は、本件協定は昭和三七年三月六日の団体交渉の席上、当事者間の合意により懲戒解雇処分を含まない趣旨に変更されたと主張するが、そのような事実を認めるべき疏明はなく、かえつて成立に争いのない疏乙第二六号証の一、証人鈴木睦治の証言(第二回)により真正に成立したものと認められる疏乙第二六号証の三(後記採用しない部分を除く)、成立に争いのない疏乙第三三号証、債権者坂下邦雄の本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる疏甲第五三号証の一、二に証人松下吉秀の証言(後記採用しない部分を除く)、債権者及川静雄(第五回)、同坂下邦雄の各本人尋問の結果を綜合すると、つぎの事実が認められるのである。すなわち、昭和三七年三月六日に行なわれた団体交渉の席上、当時出勤停止命令を受けていた組合員である申請外渡辺祐平の右処分について、組合から本件人事協定違反を理由としてこれを議題とすべき旨の要求があり、これにもとづいて右申請外人の処分が団体交渉の議題となつたが、会社はその席上人事協定に関し、(一)組合員の転勤、昇格については本人の意向を尊重し、組合とも協議する、(二)勤務の怠慢などを理由とする処分は組合と協議する、(三)その他採用および制裁等については会社が一方的に行なつてもよいが、かならず社報で明らかにする旨の提案をし、これをめぐつて会社と組合との間でそれぞれの主張を述べあつて議論がなされたが、結局組合がこの案を受け入れるまでには至らず、会社もまた今後人事処分については一方的に行なうという態度を維持したままの状態に終つた。ただ、前記渡辺祐平の件については、その団体交渉の席上で協議がつくされ、その結果同人については、不正の事実も明らかであるから、組合としては同人がやめざるをえないことは認めるが、解雇では気の毒だから依願退職にしてやりたいとの意向をもち、会社もその旨了承した。

以上の事実が認められる。前記疏乙第二六号証の三の記載のうち、右認定に反する部分および証人松下吉秀の証言のうち右認定に反する部分は、いずれも採用することができず、ほかに右認定を左右するに足る疏明はない。

つまり、会社が本件協定の運用に関し、債務者主張のような提案をした事実は認められ、また会社が今後の処分は組合と協議することなく一方的に行なう旨主張していたことは債権者らも認めるところなのであるが、そのいずれについても組合が合意したような事実は認められないのであり、したがつて、この点についても債務者の主張は理由がない。

なお、債務者は組合の「不当労働行為救済申立書」(その写は疏乙第二六号証の二)および債権者及川の組合委員長としての「陳述書」(疏乙第三三号証)における字句の用法をとらえ、これをもつて債務者の主張を裏付けうるものとして主張するが、右の各書面における債務者主張の各記載の事実をもつてしても上述の認定をくつがえすことはできない。

すなわち、前者の書面における債務者主張の記載は、会社の一方的行為があつたことを推認させるものではあつても、その一方的行為を組合が承認したことの裏付けにはとうていなりえないものであり、また後者の書面における債務者主張の記載は、その前後の文脈を追つてみれば、会社の一方的な態度を批難する趣旨で書かれたものであることが明らかになるのであつて、会社のこのような態度をいささかでも組合が承認したという事実をうかがわせる表現はなにもないのである。

結局、この点に関しても債務者の主張は理由がない。

4  つぎに、債務者は、従来会社、組合双方において協議義務なきものとして取扱つてきた事実があるから、本件協約は失効したものと解すべきであると主張する。

なるほど、債務者主張の昭和三七年五月上旬の処分については、組合もしくは処分された者が協議の申入れをしたような事実も、また実際に協議がなされたような事実も、いずれもこれを認めるべき疏明はないが、しかしながら、成立に争いない疏甲第一四ないし第一七号証によると、右昭和三七年五月上旬に行なわれた一連の処分については、組合がその一方的な措置に対して、その頃たびたび会社に抗議し、処分の撤回を求めていた事実が認められるのであつて、右の時期が争議中のことであること(この点は当事者間に争いがない)からすれば、組合が協議の申入れをして協議をまつというような穏便な態度に出ず、その代り、右のような一方的な処分に対する抗議および処分撤回の要求という態度に出たことも十分に首肯できるのであつて(会社により処分が一方的になされるかぎり、組合からの事前の協議申入れということはありえない)、組合が協議の申入れをしなかつたからといつて、組合が協議義務なきものとして扱つていたということにはならない。また一方組合が本件協定にもかかわらず、協議義務なきものとして扱つていた事実を認めるべき疏明もない。そうだとするなら、協議の事実がなかつたということは、まさに会社が協議義務違反をおかしたことにほかならないというべきであつて、したがつて、このことにより協約が失効したとする債務者の主張は理由がない。

なお、債務者の引用する判例は旧労働組合法のもとにおける事案であつて、右旧法のもとにおいては、存続期間の定めのない労働協約はその存続を欲しない当事者の一方的な意思表示のみによつてこれを終了させることができるものと考えられることを前提としたものであるから、いずれにしろ本件事案には適さないものである。

5  最後に、債務者は、本件協定はいわゆる秘密協定であるから債権者らは協約違反を主張しえないというが、債務者のいう秘密協定とは、前記昭和三四年六月二九日付覚書(疏甲第二号証)の第四項に「本協定並に覚書については会社、組合間に於て確認し外部に発表しないことを確認する」とあるのを指すものであることが明らかであるところ、債権者及川静雄の本人尋問の結果(第六回)によると、右条項のような定めを置いた趣旨は、会社が前述の不当労働行為をしたことについて、これが外部に知れわたると困るから外部には発表したくないとの会社の意を受けて組合がこれを確約したものにすぎないことが認められるのであつて(この認定を覆すに足りる疏明はない)、秘密協定といつてもそのような趣旨のものであれば、その拘束力については通常の協定となんらの差異も生じるものではなく、またもとより組合もしくは組合員が、その協定について会社の義務違反を主張しえないという性質を有するに至るものでもない。この点に関する債務者の主張は理由がない。

6  なお、債務者は協議義務違反に関する債権者らの主張を時機に後れた抗弁であると主張するかのごとくであるが、債権者らがより早い時期にこの主張をしなかつたことについて債権者らに故意または重大な過失があつたものとは認められないから、この点に関する債務者の主張は理由がないし、前記認定の諸事実からすれば、債権者らの協議義務違反に関する主張がおくれてなされたからといつて、これがただちに右主張の理由のないことの裏づけになるものだとはいえないから、その点に関しても債務者の主張は理由がないというべきである。

7  以上にみたように、会社と組合との間には本件解雇当時労働協約の人事協議約款が有効に存在していたものであるから、会社は債権者らの解雇について組合と協議する義務があるものといわなければならない。そうして、右解雇について、会社が組合と協議しなかつたとの債権者らの主張事実は債務者の明らかに争わないところである。人事協議約款は労働協約の規範的部分に属し、規範的効力を有するものと解すべきであるから、これに違反してなされた解雇は原則として無効といわなければならない。そして、及川以外の債権者らについては、協議を妨げあるいは協議義務を免れさせるような特別の事情の主張も疎明もないから、結局右の債権者らに対する本件解雇は協議義務違反で、無効だといわなければならない。

二  債権者及川に対する解雇の効力

つぎに、債権者及川に対する本件解雇の効力について判断することとする。

1  協議義務違反との主張について

会社と組合との間に、会社の人事に関し組合と協議すべき義務を定めた労働協約が存在すること、右に人事というのには本件債権者らに対する懲戒解雇処分も含まれること、そうして債権者らの本件解雇について会社が組合と事前に協議しなかつたことは前段認定のとおりである。

ところで、債権者及川についてこれをみるに、成立に争いない疏甲第四〇号証によると、昭和三八年九月六日本件争議を終結するために会社がロツクアウトを解除し、組合員が就労することを会社組合間で協定したさい、同時に債権者及川について、同人は解雇により就労できない旨の協定が会社と組合との間になされた事実が認められ、この事実によると、債権者及川本人が自己の解雇を承認したものかどうかは別として、少なくとも組合が同債権者の解雇の事実を認めたことは明らかであり、そのことはとりもなおさず、債権者及川の解雇については、組合がもはや協議を要しない旨を表明したことを意味するものにほかならない。

したがつて、同債権者については、本件人事協議約款違反を阻却すべき事由があるというべきであるから、結局債権者及川の、本件解雇は協議義務違反であるから無効であるとの主張は理由がない。

(なお、債権者及川の解雇を組合が承認したとの事実は、他の争点との関連で債務者の主張するところであるが、いずれにしろ本件の弁論にあらわれている事実であるから、協議義務違反であるかどうかの判断にさいし、この事実を基礎として債権者及川に不利な判断をしても、弁論主義に反するものではない。)

2  労働基準法違反との主張について

(一) 債権者及川は、まず、本件解雇について債務者が労働基準法二〇条所定の予告期間をおかず、また予告手当の支払いもしないことをもつて本件解雇の無効事由として主張するが、このような場合その解雇の通知は即時解雇としての効力は生じないが、使用者が即時解雇を固執する趣旨でないかぎり、通知後同条所定の三〇日の期間を経過するか、または予告手当の支払をしたときに解雇の効力を生ずるものと解すべきであるところ(最高裁昭和三五年三月一一日第二小法廷判決)、本件において債務者が債権者及川について即時解雇を固執する趣旨であるとの事実は認められないので、結局同債権者に対する解雇の通告後三〇日を経過して解雇の効力を生ずるという意味では、本件解雇手続は有効になされたものといわざるをえない。

(二) つぎに、債権者及川は、本件解雇は労働基準法二〇条三項、一九条二項に定める行政官庁の認定を受けていないから無効であると主張するが、右のいわゆる除外認定を受けて行政官庁の承認を得ることは解雇の効力発生の要件ではないと考えるべきであるから(最高裁昭和二九年九月二八日第三小法廷判決)、この点についても債権者及川の主張は理由がない。

3  就業規則の適用について

(一) 債務者主張の就業規則の各条項の内容がその主張するとおりであること、および右各条項は、七・三(ア)を除いて、いずれも懲戒解雇事由を定めたものであることは、成立に争いない乙第二九号証によりこれを認めることができる。

(二) 解雇事由の有無について

(1) 解雇理由(1)について

債務者主張の期間中債権者及川が欠勤したことは、同債権者の争わないところである。ところで、証人鈴木睦治の証言(第二回)により真正に成立したことが認められる疏乙第二五号証の一および証人堀喜明の証言によると、従業員が欠勤するについては、原則としてあらかじめ書面をもつて、もしくは特定の急を要する場合には電話その他の方法により、会社に届出をすることが必要であるとされていたにもかかわらず、債権者及川の右欠勤についてはなんらの届出もなされていなかつたことが認められる。債権者及川静雄(第二回)、同鳴海晋三(第一回)、同飯村平(第一回)の各本人尋問の結果のうち、右認定に反する部分は採用しない。

したがつて、右債権者及川の欠勤は、就業規則七・四(イ)の「無断欠勤三日以上におよんだとき」という場合に該当する。

そこで、進んで、就業規則の同条項に規定する「正当な理由なく」という場合にあたるかどうかについて判断するに債権者及川静雄(第二回)ならびに同鳴海晋三(第一回)の各本人尋問の結果によると、債権者及川は、右欠勤当時組合の委員長であつたほか、全自交札幌連合会の組織部長をしており、たまたま他の労働組合の結成にさいして、組織づくりのために、いわゆるはりつけオルグとして出向いていたため欠勤におよんだことが認められるから、右欠勤は要するに組合用務によるものということができるが、組合用務であるからといつて、届け出ないで欠勤することが特に正当化されるものではなく、しかも前顕疏乙第二五号証の一によると、同債権者は以前から、自己の属する薄野支店の支店長堀喜明を通して会社から、組合用務で他に出向くについても事前に承認願いを出し、承認を得てからすべき旨注意を受けていた事実が認められ、したがつて債権者及川が届出をしないで欠勤したことについて正当な理由はなかつたものといわなければならない。

したがつて、債権者及川の右の所為は、結局就業規則の懲戒解雇事由を定めた七・四(イ)に該当するというべきである。

そこで、さらに情状について考えることにするが、成立に争いない甲第四七号証に債権者及川静雄(第二回)、同鳴海晋三(第一回)、同飯村平(第一回)の各本人尋問の結果によると、会社においては欠勤についての事前の届出の原則が従来必らずしも厳格に遵守されていたのではないこと、とくに昭和三五年頃は組合用務による欠勤に対して、届出さえすれば出勤扱いで賃金を保障するなど、比較的寛容な態度をもつて臨んでいた時期があつたこと、右の取扱いが厳格になつたのは、及川の本件欠勤にさかのぼることわずか一、二ケ月にすぎない昭和三七年初頭からのことであることが認められ、右事実に、債権者及川の本件欠勤も前記認定のようにいわゆる組合用務によるものであつて、欠勤の理由自体は著るしく不都合であるともいえない事実を考えあわせると、右四日間の無断欠勤の事実ひとつだけを理由として懲戒解雇におよぶことは情状の点において妥当性を欠くというべきである。

特に、成立に争いのない疏甲第一二号証によると、会社はすでに、本件四日間の無断欠勤について、債権者及川をけん責処分に付している事実がうかがわれるが、そのことはとりもなおさず、会社が本件無断欠勤をもつて、懲戒事由としては情状においてきわめて軽度のものと考えていたことの証左にほかならない。

ところで、右のけん責処分については(成立に争いない疏乙第二九号証によれば、けん責処分とは、始末書を提出せしめ将来をいましめることを指すものであることが認められる)、結局において、債権者及川が始末書を提出しなかつた事実が証人堀喜明の証言によつて認められ、また前顕疏甲第一二号証によると、会社が社報により同債権者の解雇事由として掲げているところは、同債権者が本件四日間の無断欠勤をし、会社からけん責処分に付されたにもかかわらず始末書の提出を怠つたという事実であることが認められるが、本件においては、債務者はその点を解雇事由として主張していないから、右始末書を提出しないという事実は情状の点で問題になるにすぎないというべきところ、これによつて、前示無断欠勤の点につき、その情状が非常に悪質だと評価するわけにはいかないのである。

以上のとおりであるから、債権者及川の四日間の無断欠勤の事実は、その始末書不提出の点を考慮に入れても、なお、これのみを取り上げて同債権者を懲戒解雇に付すべきほどに重大な規律違反行為とはいえないというべきである。

(2) 解雇理由(2)について

昭和三七年四月二八日組合が時限ストを行なつた際、会社の菊水支店待合室兼運転手控室に組合員が入つたことは当事者間に争いがない。

債務者は、そのさい債権者及川が会社から再三の立退きを命ぜられたにもかかわらず、これに従わなかつたことが、就業規則にいう業務命令に不当に反抗した場合に該当すると主張するのでこの点について考えるに、成立に争いない疏乙第二五号証の二、証人鈴木睦治の証言(第二回)により真正に成立したものと認められる疏乙第二五号証の三によると、会社総務部長新田安広が電話で数回債権者及川に対し退去を命じ、また菊水支店長柏葉正夫も現場で口頭をもつて退去を命じたことが認められ(右認定に反する債権者及川静雄の本人尋問の結果第二回は採用できない)、右はいずれも債権者及川に対して発せられた会社の業務命令であるということはできるが、一方前記立入り行為がなされ、またこれに対して右業務命令が発せられたのが組合の行なつた時限ストのさいのことであることは債務者の自認するところであり、このように、組合がストライキを行なつているさいに発せられた業務命令については、ストライキが、労働者の労務の不提供とともに、業務上の指揮命令系統からの離脱という結果を当然に伴なうものであることからすれば、そのストライキないしはこれに付随して行なわれる争議行為が違法なもの、あるいは正当性の範囲を逸脱しているものである場合でないかぎり、労働者がこれに対して服従義務を負うべきものではないといわなければならない。

ところで、前記時限ストそのものについては、これが違法であるとの疏明はなにもないから、問題は結局、そのさいに組合員が菊水支店の待合室兼運転手控室に立ち入つたことが、その目的ないし態様において、争議行為として違法性を帯び、あるいは正当性の範囲をこえたものであるかどうかという点につきるので、これについて判断を進めることにする。

債権者及川静雄の本人尋問の結果(第二回)によると、右立ち入りは、時限ストにさいして組合集会を行なうためになされたもので、しかも立ち入りの場所は、常時運転手控室として運転手たる組合員が立ち入ることが許されている場所であることが認められるのであつて、このようにストライキにさいして、平常時に組合員が使用するために設けられている会社施設内において組合集会を開くことは、そのこと自体違法な行為ではない。ただ、右運転手控室は、待合室を兼ねており、また配車室と隣接しているために(この点は債権者及川静雄の本人尋問の結果によつて認められる)、これに対する立ち入りの態様のいかんによつては会社の業務を妨害するおそれもありうるということが問題なのである。

ところで前顕乙第二五号証の二、三によると、せまい待合室兼運転手控室に数十人の組合員が二時間にわたつて立ち入つたため、自動車を利用しようとする客が待合室に入ることができず、また、第一小型ハイヤー新労働組合に属する運転手がやはり控室に入れず、外で雨にぬれながら、配車室の窓から指示を受けていた事実、また、組合員が大声をあげて議論をしていたため右待合室兼運転手控室とはわずかな仕切りでへだてられているにすぎない配車室において、電話で客からの注文を聞きとるのに困難を生じた事実が認められる。しかしながら、右の待合室に入れなかつた客や運転手の人数がいかほどであつたかは、これを認定するための疏明はなく、また債権者及川静雄の本人尋問の結果(第二回)によると、この当時会社においてはハイヤーよりはタクシー業務の方が主たる営業形態になつていた事実が認められ、これによれば、電話で配車の注文を受けることや客に待合室を利用させることなどは、どちらかといえば会社の本来の業務からいくぶんはずれるものであるとみるべきであるし、とりわけ、組合集会が会社の業務を妨害する目的意識をもつて行なわれたとみるべき疏明はもとよりなく、また債権者及川静雄の本人尋問の結果(第二回)によると、組合員らが積極的に妨害行為をするようなこともなかつた事実も認められ、結局以上の事実を綜合すると、右立ち入りによつて、若干会社の業務が妨害されるという結果が生じたとはいいえても、その程度が、会社の容認すべき範囲をこえたものとは認められないのである。

したがつて、本件組合員による右立ち入り行為は違法なものとはいえないし、また争議行為として正当性の範囲をこえたものともいえないから、これを排除せんとして発せられた業務命令たる前記立退命令に対しては、従業員は前記の理由により服従義務はなく、債権者及川がこれに従わなかつたとしても、これをもつて業務命令に不当に反抗したものということはできない。したがつて就業規則七・四(コ)には該当しない。

つぎに、債務者は、債権者及川が配車業務等の会社の業務を妨害したと主張するが、この点に関する判断は右に述べたところに尽きるのであつて、これによれば会社の業務が妨害された事実は一応あるのであるから、就業規則七・四(ク)に規定する事由に該当はするものの、前記のとおり、右妨害の程度は会社の容認すべき範囲をこえたものではなく、したがつてまたその原因となつた前記組合員の立ち入り行為は争議行為として正当なものというべきであるから、この事実に対して右規定に該当するからといつて、就業規則を適用し懲戒解雇に付することはできないといわなければならない。

(3) 解雇理由(3)について

昭和三七年五月四日および八日に豊川稲荷等において組合が大会を開いたことは当事者間に争いがない。そうして、成立に争いない疏乙第二五号証の四、村上喜三郎が昭和三七年五月八日に撮影したことに争いがない疏乙第二五号証の五によると、五月四日には、豊川稲荷境内における組合大会にさいして自動車を少なくとも一二輛、五月八日のストライキのさいには自動車を少なくとも四輛をそれぞれ使用したことが認められる。

債務者は、まず右行為が、会社に帰属すべき物品を無断で持出した場合にあたると主張するので考えるに、会社に帰属すべき物品を持出すとは、会社が所有権もしくはその他の権原にもとづいて占有し、支配管理する物品について、これを場所的に移転し、会社の支配管理の及ばない状態をつくり出すことを意味するものであると解すべきであるところ、本件で問題とされている自動車が会社の所有に属することは一応推定されるが、タクシー会社の自動車は、運転中は常時物理的にみて会社の直接の支配管理の及ばない場所に移転されることは当然のこととして予定されているものとみるべきであり、このような自動車については、その運転中は運転手が会社の機関として現実の支配管理(握持)をなしているというべきであり、運転手が仮に当該車輛を会社の認めない目的のために使用したとしても、右現実の支配管理が適法に開始されたものであるかぎりは、車輛の無断持出しにあたらず、せいぜい車輛の不正使用という概念にあたるにすぎないというべきである。

ところで、本件において債務者が無断持出しとして主張している行為は、つまりは、組合大会ないしはストライキのさいにおける組合集会に組合員が参加するについて営業用自動車を用い、集会が行なわれている間は数時間にわたつてこれを営業に供さず駐車させたまま放置し、集会終了後は再びこれを使用するという一連の行為を指すものであることは明らかであり、右のような行為は、要するに、会社の認めない目的のために自動車を使用することにほかならない。そして債権者及川静雄の本人尋問の結果(第二回)によると、右使用された自動車は、いずれもこれを担当する組合員がみずから使用したことが認められるのであるから、右自動車に対する支配管理は適法に開始されたものと推定すべきである。したがつて、前記行為は、無断持出しというのにはあたらず、単に不正使用というに止まると解すべきである。(前顕疏乙第二九号証によれば、債務者の就業規則七・三―減給、出勤停止、停職、降転職の処分に付すべき場合―のうちには、会社の物品の不正使用に対する制裁処分を定めた条項があることが認められるのであるから、右営業車の不正使用に制裁を課するとすれば、右条項によるべきであつて、これより重い懲戒解雇の処分によるべきものではない。)

つぎに債務者は、債権者及川の右の行為が業務命令に不当に反抗した場合に該当すると主張する。

成立に争いない疏甲第一二号証と疏乙第二五号証の四に、債権者及川静雄の本人尋問の結果(第二回)によると、会社は昭和三七年四月一四日付文書をもつて、組合に対し組合の集会のさいには車輛を車庫に格納した上で集会に参加すべき旨を指示した事実が認められ、右文書による指示は一種の業務命令であるということができるから、前記認定の事実をあわせ考えると、債権者及川の行為は右業務命令に従わなかつたことになる。

ところで、右業務命令に従わなかつたことが、ただちに、業務命令に不当に反抗したことになるものではなく、業務命令によるある種の行為の禁止があることを知りながら、正当な理由がないにもかかわらず、意識的に、あえてこの禁止を破る行為に出たような場合にはじめて不当に反抗したものといえるのであつて、業務命令違反者がその業務命令が不当であるが故に遵守しないでもよいと考えたときにおいてそのように考えるにつき過失がない場合には、業務命令に「反抗」したということはできないと解すべきものである。本件についてみるに、債権者及川静雄の本人尋問の結果(第二回)によると、前記文書による指示に対しては、組合は集会を開いて組合員にその内容を徹底させる措置をとりながらも、結果的にはこれを無視したこと、その理由は、右文書が出る以前には、会社は組合の集会に組合員が自己の担当する車輛に乗車して参加することを認めていたばかりでなく、組合員が勤務中組合の大会に参加し、また、集会の終了後勤務につく際には、担当者がそのまま乗車中の車輛を利用して迅速に動きまわる方が業務の能率が上がるという理由からむしろ会社の方から積極的にこれを奨励していたにもかかわらず、突如このような禁止の措置をとつたこと、しかも右文書が発せられる二日前に結成された第一小型ハイヤー新労働組合に対しては車輛の使用を禁止する措置はとらず、組合に対してのみこのような禁止の指示をしたことが単なるいやがらせにすぎないと組合員が感じとつていたからであることが認められる。つまり、組合全体として、従来の慣行に反し、しかも単なるいやがらせにすぎないとしか解せられないようなこの指示に対しては従わなくてもよいとの判断がなされ、これに違反する行為に出たため、債権者及川も結局右指示に従わなかつたものであることが推測されるのである。ところで、債権者及川静雄の本人尋問の結果(第二回)によると、会社における従来の慣行が前記のようなものであつたこと、それにもかかわらず、第一小型ハイヤー新労働組合が結成された直後に前記のような禁止の措置がとられるに至つたこと、そして組合員が当時争議の経過を通じて会社に対する不信感を強めていつたことが認められるのであつて、このような事実からすると、組合が前記のような判断に達したことも相当な理由があるといわなければならない。したがつて、債権者及川の右行為は、業務命令に不当に反抗した場合とはいえないのである。

なお、債権者鳴海晋三の本人尋問の結果(第一回)によると、同年八月に第一小型ハイヤー新労働組合が組合大会を開いたさい、その組合員が担当車を使つて集会に参加し、集会の間、集会の場所に駐車させた事実があること、しかもこれに対して会社がなんら処分に出なかつたことが認められ、これと比較すれば、債権者及川の組合委員長としての前記のような行為が仮に懲戒解雇事由に該当するとしても、これのみを理由として懲戒解雇処分に付することは著るしく処分の均衡を失しているといわなければならない。

なお、債務者は、債権者及川が指導運転手の地位にあつたことを情状として主張しているが、この点は情状としてほとんどしん酌することができないのは後に述べるとおりである。

(4) 解雇理由(4)について

昭和三七年五月七日および八日に組合員がビラはりをしたことは当事者間に争いがない。しかしながら右二日間のビラはりによつて会社の業務が妨害されたと認めるべき疏明はなにもない。のみならず、右のビラの枚数については、右両日にわたつて数十枚もはられたと認めるべき疏明はなにもなく、かえつて債権者及川静雄の本人尋問の結果(第二回)によると、せいぜい一五、六枚程度のビラがはられたことが認められるにすぎず、この程度のビラはりは、争議行為の手段として当然容認されるものであるというほかない。したがつて、この点は解雇事由に該当しない。

なお債務者は、債権者及川の行為が就業規則七・三(ア)に該当するというが、前示のとおり右行為は、争議行為の手段として当然容認される程度のものであるから、右の規定にいわゆる服務規律に違反したものということはできないのみならず、成立に争いない疏乙第二九号証によると、右の規定は懲戒解雇事由を定めたものではないことが認められるから、これを懲戒解雇の理由とすることはできないといわなければならない。

(三) 以上に検討したとおり、債務者の主張する各個の解雇事由は、いずれもそれのみでは債権者及川を懲戒解雇に付する根拠としてはきわめて薄弱であるといわざるをえない。また、前段認定の各個の行為を綜合して考察しても、同債権者を懲戒解雇するに相当な理由があるものということはできないのである。とくに、前記(1)の無断欠勤の事実は債権者及川個人の服務規律違反に関する問題であるのに対し、(3)の事実は、組合としての行為もしくは争議行為についての委員長としての責任の問題であつて、その性質が異なるものであり、同一平面において一律に情状を考慮するわけにはいかない。また(2)および(4)の各行為はいずれも組合の争議行為として正当なものであることは前記のとおりであるから、これを情状として取り上げることはできない。

債権者及川の情状について、なお本件弁論にあらわれているところを若干考察してみることとする。

まず、解雇理由(3)については、同債権者が指導運転手であつた事実が情状として主張されていることは前述のとおりであるが、証人堀喜明、同鈴木睦治(第二回)の各証言に債権者及川静雄(第三回)、同飯村平(第一回)の各本人尋問の結果を綜合すると、指導運転手というのは、運転手の中でいわゆる古参の者が、新らしい運転手に対し技術的な指導をし、地理の案内をする等のために設けられた制度であるが、特にそのための辞令が出るわけでもなく、したがつて従来から存していた班長という制度と截然と区別できない面もあつたほどで、その職務内容も定量化できるものではなく、ただ、賃金体系などにおいて若干の相違があつたにすぎないことが認められる。したがつて、右のような指導運転手であつたからといつて、債権者及川が、債務者のいわゆる車輛の持出しについて、他の従業員と異なり、とくに情状において厳格な取り扱いを受けなければならないいわれはないものといわなければならない。

つぎに、証人鈴木睦治の証言(第二回)によつて真正に成立したことが認められる疏乙第二八号証の一によれば、昭和三四年九月から同三七年三月までの間に、指導運転手たる債権者及川の売上実績は、他の同じく指導運転手とされている申請外丹正三、同西村久夫とくらべて格段に少ないことが認められる。しかしながら、債権者飯村平の本人尋問の結果(第一回)と証人鈴木睦治の証言(第二回)によると、右比較されている当時丹正三、西村久夫の二名がはたして指導運転手であつたかどうかは、前記のような指導運転手たる職務のあいまいさをも考え合わせるときに、きわめて疑わしいところであり、また前述の職務の非定量性を考慮にいれると、単に売上金額を並べて比較しただけで、勤務状況の良し悪しをただちに比較することができるとも思われない。

ところで、証人堀喜明の証言および債権者及川静雄(第一、四回)、同飯村平(第一回)の各本人尋問の結果によると、会社は従前組合用務による欠勤を認めていたことがあること、債権者及川が指導運転手をしていた頃同債権者は組合の執行委員、執行委員長を歴任するとともに全自交札幌地連、北海道地連の各役員を兼ねていたこと、同債権者は組合用務により欠勤することはしばしばあつたが、そのうち無断欠勤は二、三回あつたにすぎないことが認められる。この事実によれば、債権者及川が組合用務のために売上げが少なくなることは容易に想像のつくところであり、とくに、前顕疏乙第二八号証の一によれば、同債権者の売上げが皆無という月が数多くある事実が認められ、それにもかかわらず、従来会社が同債権者に対して特にこのことを理由として懲戒処分に付したというような事実も認められないのであるから(ふつうの従業員であれば、売上げが皆無でいながら何年も放置されているということは考えられない)、前記債権者及川の売上げが少ない事実はかえつて会社が同債権者の組合活動を容認していた事実を推認させるものだということもでき、それでいながら今さら、同債権者の不利な情状として、過去の勤務成績の不良の事実を持ち出すことは、はなはだ妥当を欠くといわなければならないし、したがつて、この点を本件解雇についての情状として考慮することもできないというべきである。

債権者及川の過去の勤務について、右の事実のほかは、その成績あるいは態度が他の従業員に比してとくに不良であつたとみるべき事実を認めるに足りる疎明はない。

(四) 債権者及川に対する本件解雇が就業規則の適用としてなされたことは債務者の主張自体から明らかであるが、右に述べてきたように、債務者が列挙する各行為は懲戒解雇事由に該当せず、またこれにあたるものについても、それを理由として懲戒解雇に付することは重きに失すると考えられるので、結局債務者は就業規則の適用を誤つたものといわなければならない。したがつて、債権者及川に対する本件解雇はこの点において無効である。

なお債務者は、債権者らの、就業規則の適用の誤りに関する主張を時機におくれた攻撃防禦方法であると主張するもののようであるが、債権者らが本件訴訟の当初から、債権者らには懲戒解雇される理由はないと主張していることは本件記録上明らかであり、のちになされた、本件解雇は就業規則の適用を誤つたものであるとの主張は、右の先になされた主張の表現をかえたものにほかならず、いずれの主張についても審理すべき範囲および訴訟資料は同一であるから、あとからなされた主張を、時機におくれた攻撃防禦方法として却下すべき理由はなく、また却下したところで無意味であるから、この点に関する債務者の主張は理由がない。

第三賃金請求権の存否について

以上に説明したように、本件解雇はいずれの債権者についても無効であるから、債権者らは、いずれも従業員としての地位を回復し、右解雇当時の労働条件に従つて処遇されなければならないことは勿論である。したがつて、特段の事情のない限り賃金についても解雇当時に遡つてこれを請求する権利がある。

しかるに債務者は、債権者及川について、昭和三八年九月六日に組合が同債権者の解雇処分を認めたから、同債権者は賃金請求権を有しないと主張するので、この点について考えることとする。

まず、成立に争いない疏甲第四〇号証によると、債務者主張のように、前同日会社と組合との間で、就労の際取り交された確認書には、就労に際し及川静雄は解雇により就労できない旨の条項があり、右確認書には組合側は債権者及川が組合委員長として記名押印していることが認められる。しかし、組合が組合員の解雇を認めたからといつて、その解雇が無効な場合に組合員が賃金請求権を失なうということがありえないのは当然である。ただ本件の場合は、組合の委員長と、解雇された組合員とが同一人であるという事情があるために、組合が解雇を承認したことが個人としてもこれを承認したことになるのではないかということが一応問題になりうるだけである。ところで、解雇という事実は労働者にとつて、賃金請求権を失なうというきわめて重大な身分的変動に関することがらであるから、軽々に組合の機関としての意思と一組合員個人としての意思とを同一に考えるべきでなく、本件の場合も、債権者及川個人が自己の解雇を承認したものとみるのは相当でない。

しかしながら、このような場合に組合委員長としての判断に個人としての自己の身分関係についての意思が全く働らかないとみるのも妥当でない。少なくとも前記条項のうち不就労を表明した部分は、それが解雇の承認ほどは、身分的影響が少ないことからみて、債権者及川個人としてもこれを承認していたものとみるべきである。その結果、債権者及川については労務の提供がなかつたから、そのかぎりにおいて、賃金請求権がないという債務者の主張も一応意味があるということはできる。しかし、さらに考えてみるに、債権者及川が労務の提供をしなかつたとしても、このことは、債務者によるロツクアウトのために就労できなかつた事実(この事実は当事者間に争いがない)を考慮すれば、就労に際し、会社が債権者及川の労務を受領しないことについて、同債権者が積極的に争わないことを表明したものとはいえても、さらに進んで、同債権者が会社の右受領拒絶を正当なものと認め、労務提供を撤回するまでの意思があつたものとは認められないのである。

したがつて、債権者及川が賃金請求権を失なうものではなく、この点に関する債務者の主張は理由がない。

ところで、債権者らが債務者に対して賃金請求権を有するとされた場合に、その金額が別表一、二に記載するとおりであることは債務者の認めるところである。したがつて、債権者らは右の金額の賃金請求権を有することになる。なお、賃金の支払期が毎月一六日から翌月一五日までの分を翌月二五日に支払うことになつていることは、弁論の全趣旨によりこれを認める。(債務者主張の消滅時効の抗弁および民法五三六条二項の点に対する判断はしばらく措く。)

第四保全の必要性

一  債権者らが前記の金額の賃金請求権を有するとしても、本案訴訟において勝訴したと同様の保護を与えなければならないほどの必要性があるかどうかは別個の観点から判断しなければならないところ、債権者鳴海晋三の本人尋問の結果(第一、二回)および本件弁論の全趣旨によると、債権者らは本件解雇以後本件口頭弁論終結時に至るまでは、生活保護を受け、あるいは他に臨時稼働して収入を得るなどして、曲りなりにもその生活を維持してきたことが認められる右認定に反する疏明はない。したがつて、この時以前に遡つて既往に得べかりし賃金を一括して仮に支払わせなければならない必要性はないといわなければならない。もつとも、成立に争いのない疏甲第五六号証および債権者鳴海晋三の本人尋問の結果(第二回)によると、組合が労働金庫から多額の金員を借り入れ、これの返済を迫られているところ、結局その返済は右組合に属する債権者らの負担すべきものであることが認められるのであるが、これを直ちに全額返済しないことによつて債権者らが著るしい損害をこうむることの可能性はきわめて少ないものと考えてよいから、この点は必要性を肯定する理由とはならないというべきである。

一方、口頭弁論終結時を経過したのちの債権者らの生活については、従来生活保護費の支給を受けていた者が引き続きその支給を受けていくことは一応予想されるが、そのほかどのような手段により、どの程度の収入を得、いかなる生活をしていくかは詳らかでなく、前記臨時稼働による収入も、まつたくの臨時の収入であることを考えれば、債権者らの将来の生活を維持するための方途として予測することもできない。

しかも、生活保護費の受給については、債権者らが債務者から労働者として扱われていないために、やむなく、一時的な救済方法としてこのような手段をとつているにすぎないというべきであつて、債務者が債権者らに賃金を支払いさえすれば、債権者らは右のようなこ息な手段をとる必要はなくなるのであり、また、もし債権者らが将来も臨時稼働による収入により生活を維持していくとしても、これについてもまつたく右と同様のことがいえるのであるから、結局これらの手段があることをもつて仮処分の必要性を云々する債務者の主張は本末を転倒するものといわなければならない。

したがつて、口頭弁論終結時を経過したのちの時期については、債権者らが労働者であつて、債務者から支払われる賃金を唯一の収入として生活するのが原則であることを考えるとき、その間の賃金の支払いを受けないときには著るしい損害を生ずるおそれがあるというべきである。

二  また、解雇時から本件申請の提起までの年月の経過は、当事者間に争いない事実と本件記録により、債務者主張のとおりであることは明らかであるが、この事実は仮処分の緊急の必要性を判断するための一資料となりうるにすぎず、本件においても、債権者らの解雇の無効という事実と前述の理由とによつて、本件仮処分の緊急の必要性は当然に発生するもので、右のような事実によつて必要性がなくなるというべきものではない。(ちなみに、仮処分の緊急性といわれるものは、仮処分事件の特質ないしはその審理についての要請を意味するだけで、緊急性そのものが仮処分申請の要件となるものではない。)

三  結局、債権者らは、本件口頭弁論が終結した日の翌日であることが記録上明らかな昭和四一年七月六日以降は、別表二記載の各賃金額の割合による金員の支払いを受けないときには著るしい損害をこうむるおそれがあるので、これを避けるため、右金員の支払いを受ける必要性があるというべきである。なお、期末手当と石炭手当とは、債権者らが生活を維持していくために必要な賃金の額をこえるものと思料されるので、これについては債権者らが仮に支払いを受けるべき必要性はないというべきである。

なお、債務者の主張のうち、消滅時効の点および民法五三六条二項の点については、いずれもその対象とされている既往に得べかりし賃金については仮支払いの必要性がないと判断したこと前記のとおりであるから、右各主張に対する判断は必要ないものとして省略する。

また、生活保護費の返還義務からする債務者の主張については、被保護者が保護費の返還の義務を負うのは、資力があるにもかかわらず保護を受けたときであるところ(生活保護法六三条)、本件において仮の支払いを命ずべき前記賃金を債権者らが現実に交付されても、従前生活保護費を受給していた時期に遡つて資力があつたということにはならず、結局返還義務は生じないのであるから、この点に関する債務者の主張は理由がない。

第五結論

よつて、債権者らの本件申請のうち、債権者らが債務者に対して雇用契約上の地位を有することを仮に定めることを求める部分および昭和四一年七月六日以降別表二記載の各賃金額の割合による金員の仮払いを求める部分は、理由および必要性があるから、保証を立てさせないでこれを認容することとし(なお、昭和四一年七月六日から同月一五日までの分は、別表二記載の賃金額にもとづいて日割計算によつてその額を求め、これと同月一六日以降昭和四二年二月一五日までの分との合計である別表三合計欄記載の各金員は、いずれも本件判決言渡しの日までに弁済期が到来しているから、即時に支払われるべきものであり、昭和四二年二月一六日以降の分については、最初の弁済期である同年三月二五日以降毎月二五日かぎり別表二合計欄記載の各金員が支払われるべきこととなる)、その余の部分は必要性の疏明がなく、かつ保証をもつて右疏明に代えさせることも適当でないので、これを却下することとし、申請費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条但書を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 柳川俊一 丸山忠三 新村正人)

(別表省略)

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